(朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)
昨今の日本社会において、懸念することがあります。それは、「パブリック(公共)に人々が関心を持たなくなってしまった」ということです。
過去には、政治や行政に対して、国民・市民の尊敬がもう少しありました。それに対して今は、批判一辺倒で、政治行政で頑張る人々への尊敬がなくなってしまったように感じます。その結果、官僚や政治家という職を選ぼうと思う人も減り、人材の劣化を招いています。これは、日本という国の弱体化を招きかねない深刻な事態と考えるべきではないでしょうか。
エリザベス女王、ゴルバチョフ氏、安倍元総理、3人の要人の死から見えてくるもの
最近、国内外において、政治行政に関する重要人物の死が相次ぎました。それを観察していても、少なくとも、今後ますます加速化していく傾向として、公共のために尽くす人への尊敬の薄れ、というものを意識せざるを得ません。そして、日本においては特に、パブリックサービスに勤しむ人への関心が薄れているように思えてならないのです。ここでは具体的に、9月に逝去されたエリザベス女王、8月に他界したゴルバチョフ元書記長、7月に銃弾に倒れた安倍晋三元総理を取り上げて考えたいと思います。
先月、イギリスではエリザベス女王が亡くなりました。96歳で亡くなるまでの70年間、公的サービスに就かれ、イギリス連邦王国の象徴的存在でもありました。ダイアナ妃の騒動や、フォークランド紛争など、国難において存在を発揮する稀有な存在でもありました。こういう女王・国王はもう出てこないのではないかと思います。
エリザベス女王の荘厳な国葬は世界的な注目を集めましたが、イギリスの王室自体、日常的にメディアの目や人々の関心にさらされています。そのため公のために懸命に尽くす姿に尊敬が集まる一方、「恵まれた家庭に生まれて、税金で優雅に暮らしている」と人々から言われることもあり、窮屈で、割に合わないと感じている王族もいるのも事実のようです。そのため、愛する人との結婚のために1936年に退位したエドワード8世や、最終的には追い出された形にはなりましたが、独自の自由な歩みを目論んだヘンリー王子とメーガン妃のように王室から離脱する王族もいます。結果として、イギリス王室の公務の担い手が減ってしまうケースがみられます。