安倍元首相の弔問に訪れた自民党の茂木敏充幹事長。「国葬」に反対する一部野党の主張について、「国民の声とはかなりずれている」と反論した(写真:ZUMA Press/アフロ)

(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 政府は安倍元首相の国葬を9月27日に日本武道館で行うことを閣議決定した。費用は全額国費、松野官房長官は「国民一人一人に政治的評価や、喪に服することを求めるものではない」と強調した。

 国葬の理由として、安倍政権が憲政史上最長の8年8カ月の長期政権だったこと、内政と外交の面で功績を残したこと、各国での安倍元首相の評価が高いこと、世界各国から要人たちが来日して岸田首相の外交ができる、などが挙げられている。しかしいつものことだが、ただ会うだけではなんらかの実効性があるわけではない。

 松野官房長官は国葬に批判的な野党に対して、「国の内外から幅広い哀悼の意が寄せられていることなどを勘案し国葬を執り行うこととした」と述べた。国内で「幅広い哀悼の意が寄せられていること」というのは、次のような事実も勘案されたかもしれない。

 安倍元首相の棺が東京に移送されたとき、沿道に多くの人が集まった。なかには泣いているおばさんや若い女性がいた。わたしは、かれらがなぜ泣いてるのかわからなかったが、このような光景が自民党関係者に国葬を考えさせた一因になったかもしれない。

 国民は、銃撃によって国民になじみのあった安倍元首相が殺害されたことを映像で見て、ショックを受けたのだろう。こんな事件は日本ではしばらくなかった。ショックを受けたのは政治家もおなじで、岸田総理や茂木幹事長は犯人の動機も背景もわからないうちから、慌てて「民主主義への挑戦」だの「民主主義を守る」などと、とんちんかんなことを口走っていたことからもあきらかである。

「多大な功績を残した」のか

 わたしはNHKのニュースで事件を知ったとき、「え?」とは思ったが、ショックはなくすぐ事実を受け入れた。奈良の西大寺と聞いて「ああ、あそこか」と思ったことを覚えている。現場にいたNHKの女性記者が「銃のようなもの」といっていたのを「また責任逃れか、銃に決まってるだろうが」と思ったのだが、映像を見て、この場合は女性記者が正しかったことがわかった。あれは銃というより小さな大砲である。