「ソ連時代、『独立を望むのは悪』と学校で教え込まれた」
ロケットサイエンティストだった父と数学の大学教授だった母を持つシュマトクさんは1997年に経営学修士(MBA)を取るためアメリカに留学した。2年後に修了したあとアメリカ、ロンドン、アムステルダム、ジュネーブに住み、イギリスに戻った。ソ連が崩壊した時、シュマトクさんは母と同じ数学を専攻するキーウ大学の学生だった。
「すべてが崩壊するさまを目の当たりにしました。信じられないことでした。その時はまさかアメリカで勉強できるようになるとは思いもしませんでした。父が軍事機密に関わる仕事をしていたのでソ連から外に出ることはないと思っていたからです。ソ連時代はウクライナのナショナリストになるのは悪い、独立を望むのは悪いことだと学校で教え込まれました」
91年、シュマトクさんは学生の1人として、独立を求めるデモに参加した。誰かに会って、すぐ恋に落ちるような感じだった。ソ連という“刑務所”が一夜にして崩壊し、自由をいったん手に入れると、みんなが自由を欲するようになった。「何も見えないと思っていたのに突然、すべてのモノがカラーで見えるようになるというのはとても素晴らしい感覚です」
2014年2月、親露派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領(当時)を追い詰めたマイダン革命を支援するためキーウにいたシュマトクさんは「正直言って私もウクライナは平和な国だと信じている呑気な人間でした。クリミアがロシアに併合されることになるとは夢にも思わず、09年に別宅を買って毎年夏に家族で出掛けていたぐらいです」と打ち明ける。
「ウクライナはロシアのようなタテ構造の権威主義国家ではありません。みんなが対等なフラットな社会です」
シュマトクさんは財団の活動を通じて最高の建築家、環境に優しいデザイン、再生可能エネルギーによる電力供給、インフラやインターネット環境の改善を実現し、ウクライナを世界で最も住みやすく働きやすい場所にしてみせると力をみなぎらせた。
(了)
・ブチャ人道復興財団
https://www.buchafoundation.org/
・アレクサンドル・シュマトクさんの連絡先
alex.shmatok@gmail.com