(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は、5月9日の旧ソ連が第2次世界大戦でナチス・ドイツに勝利した「戦勝記念日」を、ひとつの節目にする見通しだ。東部のドネツク(ドネツィク)、ルガンスク(ルハンシク)2州を含む実効支配地域の「併合」に言及する、あるいは「特別軍事作戦」としてきた侵攻を「戦争状態」と宣言して総動員をかけるなどの観測が飛び交う。
だが、旧ソ連に属していたウクライナにとっても、5月9日は「戦勝記念日」である。
いまから11年前の2011年5月9日、私はそのウクライナの首都キーウ(キエフ)にいた。首都の中心である独立広場では、大統領も出席しての“軍事パレード”と式典が行われていた。その時の状況を写真と共に語ってみたい。
独立広場に面したホテルの部屋で私服警官から受けた「警告」
首都キーウの独立広場といえば、ロシアによるウクライナへの侵攻の以前から、その懸念を伝える日本のメディアの中継で、1本の真っ白な柱の上に女神が立つ独立記念塔の映像で見覚えのある人も少なくないはずだ。
その女神を正面に見据えると、背後に独立広場を見下ろすようにして四角い土色の建物が聳え立つ。それが「ウクライナホテル」だ。例えば、NHKなど日本のテレビ局が報じる独立広場の定点カメラの映像は、この建物に設置されたもののはずだ。
その日の朝、私はこのホテルの一室で目を覚ました――と、いうより、起こされた。朝から部屋のドアを何度もノックする音がした。ホテルそのものは古い造りで、インターフォンや電子音のする呼び鈴なんてものはなく、部屋も旧ソ連風のアパートメントのようになっていた。