プーチン大統領によるウクライナ侵攻はロシア人にも大きな影を落としている(写真:ロイター/アフロ)

(永末アコ:フランス在住ライター)

「あなたは愛国心がありますか?」と聞かれたら、 答えに一瞬、悩むのではないだろうか、きっと日本に住んでいる方の多くが。

 それでいいのだ。愛国心とは自国にいてはなかなか生まれないもの。海外出張や海外旅行から帰ってきて、久しぶりの美味しい緑茶を飲みながら、「やっぱり日本はいいなぁ」と感じるくらいで十分。まずまず平和な国に住んでいるという証拠である。

 外国に住むと、少しばかり愛国心が芽生える。日本よりフランスの生活の方が性に合い、パリに生涯いるつもりの私でも、フランスの友達やファミリーの間では、「akoの前で日本人を否定するのは御法度」と囁かれているくらい隠れ愛国心がある。

 私の経験や周りを見る限り、愛国心とは、他国の者から自国を否定される、もしくは争いなど(オリンピックやサッカーなどの世界選手権を含め)敵対する国があって初めて宿るもののようだ。

 だとすると、愛国心というのはどこか危ない。日本にいる日本人が持つ郷土愛とは違う。

 20年ほど前に、上海の国際学生都市に住んだことがある。そこで出会った中国人学生たちは、自国から一度も出たことがないのに、郷土愛ではなく愛国心に満ちていた。 国が国民に愛国心を訴えていたからだと思う。

 インターネットが普及し始めていたが、情報はまだテレビや新聞で手に入れるのが一般的だった。私は中国語が読めなかったが、寮にあったテレビで、子供でも分かる世界の真ん中の大きな中国を誇るテレビCMをよく目にした。20年経った今でも、あの明るい音楽と虹の絵の映像が蘇る。

 よって、中国人学生たちの国への誇りも疑いないものだった(彼らの多くが早朝に狭い寮から外へ出て、外国語をお経のように唱えて覚え、語学が堪能で、意思疎通に問題はなかった)が、我ら小国に対する上から目線のようなものを感じることもあって、私は時々イライラした。

「だけどあなたたちは他国を知らないでしょう?あなたの国は自由に国外へ行くこともできないじゃない?」と私は言いたかったが、決して言葉にはしなかった。そんなこと言っても、ただ彼らを苦しめるだけだと思ったからだ。それに、すべては彼らのせいではない。

 けれどもし、その言葉をあの時に口にしていたら、彼らはさらに愛国心を膨らませていたかもしれないと今は思う。人間には誰しも、親を守りたいように、自分の生まれた国を守りたいという本能がある。

 ロシアは今、あの時の(そして今の)中国同様、外からの情報が限られている。そして、国家は国民に国家愛と団結を今までになく求めている。加えて、欧州や米国、日本などの外国からは制裁というかたちで自国を否定されている。ロシア市民に制裁の理由は私たちと同様には伝わってはいないから、ロシア人の愛国心の炎が今高く燃え上がっていても不思議ではない。

 愛国心は敵なくして存在しないばかりか、敵が強そうであればあるほど高まるものだ。ロシア国内では国民を守ると言うプーチンの支持率が最高に上がっているというニュースもある。

 私が愛国心について考えるに至ったのは、パリ在住ロシア人の友人ユリアのインタビューがきっかけだった。彼女が語ってくれたロシアは、エカテリナともリュドミラとも違う。事実は同じだが、ユリアはそこに違う真実を捉えている。

【関連記事】
亡命ロシア人芸術家が語る、腐敗したプーチンのロシアとウクライナ侵攻(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69428)
オデッサ生まれのリュドミラが語る、ロシア人でもウクライナ人でもない自分(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69551)