訪中して中国の周恩来首相と乾杯するリチャード・ニクソン米大統領(肩書きは当時、1972年2月25日、写真:Universal Images Group/アフロ)

世界を激変させたニクソン電撃訪中の年

 今から50年前の1972年はまさに激動の年だった。

 1972年2月、リチャード・ニクソン米第37代大統領の電撃訪中で米中関係が樹立され、9月の田中角栄首相の訪中、日中国交回復で日米関係は歴史の歯車を大きく動かした。

(その歯車が50年後に逆回りし始めている)

 米政界に目を転じると、1972年はニクソンという強烈な政治家によって引き起こされたウォーターゲート事件で暗転。

 ニクソン氏は弾劾寸前で辞任したが、傷ついた米民主主義が回復するにはその後長い年月が必要だった。

 そして2016年、ドナルド・トランプという政治未経験の不動産王が大統領に当選した。

 型破りの唯我独尊政治を推し進め、民主主義の根幹に大きな亀裂が生じた。再選を目指したものの、ジョー・バイデン民主党候補に敗れた。

 しかし、いまだに敗北を認めていない。大統領を辞めた後も共和党内には同氏の「亡霊」が徘徊している。

 後述するが、ニクソン氏とトランプ氏とは親しい間柄だった。10年越しのペンパルだったのだ。

 互いに弾劾にかけられ、ニクソンは逃げ場をなくして辞任した。その後は隠遁生活を続けて、81歳で一人寂しく郷里で死んでいった。

 一方のトランプ氏は2回も弾劾の危機を免れたものの選挙に敗れ、ホワイトハウスを去った。だが今もなお、「どっこい」生きている。

 2人に共通しているのは世間から「大統領の犯罪」を追及されても一切謝罪しない点だ。