「世界遺産」の候補として浮上している佐渡金山(写真:アフロ)

「佐渡金山」の世界遺産登録に反発する韓国。このまま日本政府が佐渡金山を世界遺産の候補として推薦すれば、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された「軍艦島」の時と同様、朝鮮人の“強制労働”があったとして、ユネスコ加盟国にその不当性を訴える構えだ。だが、韓国の人々は自国の世界遺産「昌徳宮」が大勢の国民の強制労働によって建てられたことを忘れている。韓国の保守論客、ファンドビルダー氏が語る韓国のダブルスタンダードの後編。

※前編「佐渡金山に反対する韓国に不都合な世界遺産・昌徳宮の強制労働」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68377)から読む

 昌徳宮に続き、韓国では「書院」が「Seowon, Korean Neo-Confucian Academies」という名前で、2019年にユネスコ世界遺産として登録された。書院は、朝鮮時代の性理学者などが各地域に設立した、私立の教育機関である。性理学を広める役割を果たした書院は、1543年から韓半島のあちらこちらに設立され、18世紀以後には1000カ所ほどになった。

 ところが、書院は時が経つにつれ、人材育成という設立趣旨は消え、血縁やコネ、党派などを形成する不条理の温床になっていった。書院は、次第に権力集団化して、国民を困らせた。書院は、先祖に対する祭事などの名分によって国民から搾取し、反発する人々を性理学の教えを破ったという口実で、処罰したり、地域社会で村八分にしたりするなどの横暴を働いた。

 例えば、忠清北道にあった「華陽書院」(1674年設立)は、中国(明)の神宗(1563~1620)と毅宗(1611~1644)を祀って法事を行う、万東廟(マンドンミョ)という施設を運営した。その際の祭事費用を徴収するために、該当地域の国民に課税した。

 書院は、費用を負担できない人々を捕まえては、暴行や拷問などのリンチを加えた。書院の威力はあまりにも大きく、誰も彼らの不法と横暴を防ぐことはできなかった。当時、該当地域の国民の間では、こんな台詞が流行した。

「員(村の管理)の上に監司(道の管理)、監司の上に参判(従二品管理)、参判の上に判書(正二品管理)、判書の上に三相(議政府管理)、三相の上に承旨(承政院管理)、承旨の上に国王、国王の上に万東廟(華陽書院)」

 当時の書院の多くは、このような形で、該当地域の国民を相手に、超法規的な横暴を行ったのだ。

 興宣大院君(1820~1898)は、そんな書院に対して、「書院が、先祖の名前を売って、人々を虐げる盗賊の巣窟になってからかなり経つが、どうして放っておくことができようか」と嘆いたし、高宗(1852~1919)は、「書院が、すべての民を苦しめているとは、これはどういうことなのか」とため息をついた。数百年間にわたって国民を困らせた書院は、朝鮮末期に47カ所を残して撤廃された。