11年のプロ野球人生に幕を下ろす決意を固めた。北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手が1日、ついに現役引退を決断。球団を通じて発表され、斎藤本人も複数のメディアに対応した。引退決断については当日に球団上層部、栗山英樹監督らに意思を伝え、その理由については満身創痍の状態だった「体のこと」とも明かした。
肩や肘の故障と戦ったプロ野球生活
学生時代は文句なしのスーパースターだった。早実高3年のとき、2006年夏の甲子園決勝で駒大苫小牧・田中将大(東北楽天ゴールデンイーグルス)と投げ合って優勝投手となり“ハンカチ王子”の愛称で一躍国民的人気を得た。早大でもエースとして活躍し、2010年にドラフト1位で日本ハムへ入団。2011年の新人時代に19試合に登板し、6勝6敗、防御率2.69をマークしたが、この1年目が皮肉にもキャリアハイの数字となり、2年目の夏場に右肩を痛めて以降は低迷するようになった。
その後は完全復活を果たすこともなく「一体いつ辞めるのか」とささやかれながらも黙々と現役生活を続けた。中継ぎ転向などで活路を見出そうとしたが、安定した成績は残せずプロ10年目の昨年10月には致命傷とも言える右肘靭帯断裂の重傷を負う。昨オフには「PRP療法」を中心とした再生医療で患部の治療を行って再起したもののパフォーマンス低下は避けられず結局、ここまで昨年、今年と2年間にわたって一軍登板がないまま現役生活に別れを告げることになった。
プロ通算11年で通算15勝26敗、防御率4.34。どうひいき目に見ても格好のつく数字ではないが、少なくとも野球にそれほど興味のない人たちを引きつける役割としては十二分の功績を残したと評していい。「佑ちゃん」や「ハンカチ王子」の愛称とセットになっている“斎藤佑樹ブランド”には綻びがあろうが何だろうが、世間から注目を集めるだけのネームバリューと価値があった。実際、日本ハムはルーキーイヤーから斎藤佑樹関連のグッズ収入を含めた経済効果で「20億円以上の利益を出した」とも球界内ではささやかれている。
早大時代にエースとして人知れず酷使され続けたことによる勤続疲労や、日本ハム入団直後の2年目にコンディション総崩れの大きな原因となる右肩関節唇損傷を患ってしまったアクシデントはとても不運であり不幸だった。もしこれらの出来事が重ならなければ、斎藤のプロ野球人生はいい意味でもう少し違ったものになっていただろう。