JICAが2012年に行ったフィージビリティスタディ(F/S調査)でも、建設費の半分は政府が出さなければ採算は取れないとしていた。

日中の受注合戦

 では、このように採算がとれそうもないプロジェクトが、どうして、国の最優先プロジェクトにまで伸し上がったのであろうか? それは、このプロジェクトがインフラ開発を最優先に掲げる3人の有力政治家の着目するところとなり、それ以来、このプロジェクトは、経済ベースでというよりは、むしろ政治家ベースで議論が進められるようになったからである。

 1人目は日本の安倍晋三首相(当時)だ。2012年末に発足した第二次安倍政権は、海外インフラの開発をその優先課題として取り上げ、中でも、日本技術の粋ともいえる新幹線技術の輸出には格段の力を入れた。

 他方、中国の習近平総書記は2013年に一帯一路構想を打ち出し、その拡大を、海外進出政策の核として推進していた。中でも、新幹線技術については、日本に劣らぬ高い技術を有することを世界に誇示したいと考えていた。彼が2人目の政治家だ。

 3人目はもちろんインドネシアのジョコ・ウィドド大統領である。2014年10月に大統領に就任したジョコ氏は、就任早々、インフラ・プランを打ち出し、これを政権の最優先施策とするとした。同大統領は、当初は、ジャカルタとバンドンとを結ぶ高速鉄道プロジェクトはコストがかかりすぎるとして懐疑的に見ていたが、途中で、「日中間の競争をうまく利用すれば、有利な条件を引き出せるかもしれない」と考え、その可能性を探るべく、翌年3月に、先ず日本を訪れ、安倍総理に会い、また、その足で中国を訪れ、習近平総書記とも会い、両首脳からプロジェクトに対する支援を取り付けた。こうしてインドネシアの高速鉄道計画は、3人の政治家の思惑が激しく交錯するプロジェクトとなった。

 他方、F/S調査については、日本は2012年に既に実施していたが、その内容は採算面で問題ありとするものであったこともあり、インドネシアは、中国に対してもF/S調査を実施するよう上記訪問中に求めた。これを受けて、中国側は即座にF/S調査に取り掛かり、わずか3カ月で報告書を仕上げた(環境影響調査に至ってはわずか7日間で)*2。JICAのF/S調査が1年弱を要したことを考えると、中国側のF/S調査はいかにも拙速との感を免れないが、いずれにせよ、報告書の内容は、JICAのそれとは際立った対照を見せた。プロジェクトの操業開始時期は、JICAが2023年とみていたのに対し、中国側は大統領選が行われる2019年には操業を開始できるとした。建設コストについても、JICAは61億ドルを要するとみていたところを、中国は55億ドルで完成できるとした。

 これ以降、高速鉄道プロジェクトを巡る日中間の競争は激しさを増す。そのような中で、中国側は、2015年4月突如プロジェクト企画書をインドネシア政府に提出したが、これは、日本側から見れば、不意打ちとも映る行為であった。このように激しさを増す両国間の競争を見て、インドネシア政府は、2015年7月、日中両国の事業者に対し、それぞれ提案を出すよう求めた。その後の2カ月は、両国間の競争は、入札を巡る技術的な競争の域を超え、現地でのロビー合戦に発展した。

2015年8月、習近平主席の特使としてジャカルタを訪問した中国の徐紹史・国家発展改革員会主任らと会談するジョコ・ウィドド大統領。中国側はこの時、高速鉄道事業化に向けた報告書を提出した(写真:新華社/アフロ)

 両国事業者の提案に対する審査結果は、関係者の間では、2015年9月初めに出るとみられていたところ、9月3日インドネシア政府は、突如会見を開き、その場において、高速鉄道プロジェクトはキャンセルすると発表した。同時に、仮に実施するとしても、G-Gベース(政府対政府ベース)では難しく、business-to-businessベース(企業対企業ベース)で進めるしかないとした。この背景には、インドネシア政府が、これ以上海外からの借入れ(政府の債務保証も含む)を増やせば、政府の対外債務の上限に達することが明らかになったことがある。

*2Liao,J. Katada, N.(2020), "Geoeconomics, easy money, and political opportunism: the Perils under China and Japan’s high-Speed rail competition;, Contemporary Politics