日本の「アフガン退避作戦」が残した教訓
2021年8月15日、アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは、首都カブールを制圧した。
現地の情勢が急速に流動化する中で、日本政府は、アフガンに残る国際機関で働く日本人や日本大使館の現地スタッフら約500人の国外への退避のため、現地に自衛隊機を派遣することを決定した。
具体的には、8月23日に開催された国家安全保障会議(4大臣会議)における議論を経て、防衛大臣は、自衛隊法第84条の4に基づき、アフガンからの在外邦人等の輸送について命令を発出した。
この命令を受けて、防衛省は、航空自衛隊の「C-130輸送機」2機、「C-2輸送機」1機をはじめとする空自と陸自計約260人で編成される派遣部隊を現地に派遣した。
輸送機は、カブールの空港と拠点とするパキスタンのイスラマバードの空港の間をピストン輸送する計画であった。
ところが、8月23日、日本を出発したC-2輸送機は、24日にパキスタンに到着し、25日にアフガンに入ったが、退避希望者が空港に着いておらず、26日にパキスタンに戻った。
また、24日に日本を出発したC-130輸送機2機は、25日にパキスタンに到着したが、翌日(8月26日)にカブール国際空港のゲート付近で自爆テロが発生して、空港の出入り口であるゲートの周辺には、タリバンによる迫害を恐れるアフガン人らが殺到し、混乱状態となった。
それでも、26日にはC-130輸送機が、アフガンの首都カブールの空港から米国の要請に基づき旧政権の政府関係者らアフガン人14人を、また、26日にはC-130輸送機が日本人1人をパキスタンの首都イスラマバードに輸送した。
いくつかの報道によると、政府は当初、退避希望者の空港までの移動手段について、「各自で確保していただくしか仕方ない」(岸信夫防衛相)としていたが、タリバンが24日にアフガン人の出国を認めない考えを表明したことを受け、方針を転換。
8月26日、十数台のバスをカブール市内の各所でチャーターしたが、輸送と同時に空港付近でテロが起こったため、その任務を中止せざるを得なくなった。
今回帰国した唯一の日本人である共同通信社の安井浩美氏は、ジャーナリスト用にカタールがチャーターしたバスになんとか乗ることができたという。
8月31日、岸防衛相は、米軍のアフガン撤収で、派遣の前提となる現地の安全を確保できなくなったと判断し、アフガン派遣部隊の撤収を命じた。
9月1日以降について、加藤勝信官房長官は30日の記者会見で「米国をはじめとする関係国と連携をしながら、その対応を検討していく」と述べた。
ところで、今回の日本の邦人等退避作戦について、内外のメディアは厳しい評価をしている。
8月28日の韓国紙「中央日報」は、当初は500人の退避を想定しながら実際は10人程度だったとして「日本、カブールの恥辱」との見出しで伝えている。
また、日本のメディアも「日本政府の『退避作戦』は、失敗に終わった。想定外の速さで首都カブールが陥落するなか、自衛隊派遣の決断の遅れが響いた(朝日新聞デジタル2021.9.1)」と報じている。
さて、本稿では、「アフガン退避作戦」が残した教訓として2つのことについて述べてみたい。
一つは、自衛隊派遣の決断の遅れであり、もう一つは、在外邦人等の輸送および保護措置のための自衛隊の海外派遣について今後解決すべき法的課題である。