医療選択を可能にした「偶然」

金田:そうね。東大病院に入院して、「ああ、これで安心して手術を受ければいいんだ」と思っていたけど、周りの患者は悪くなっていくし、自分への説明や対応にも不安を感じて、結局は東大病院を飛び出したんだよね。それで、国立がん研究センター東病院に転院した。というのも、そこに食道がん手術で「日本一」だと思われる医師がいたから。その医師の治療が受けられると決まっていたんだけど、最後は放射線治療に切り替えたんだよね。

 こうした医療選択の背景には、本当に多くの偶然があった。

 例えば、放射線治療に切り替えるという決断ができたのは、放射線治療で有名な大船中央病院の武田篤也・放射線治療センター長の「放射線で治る」という言葉があったから。その武田さんを紹介してくれたのは、たまたま見舞いを持って自宅近くまで来てくれた日経ビジネスの先輩女性記者だった。彼女が電話を繋いでくれなければ、手術を受けていたと思う。

──ご自身のがん治療体験を書籍の形で残すというのはいつから考えていたのですか?

食道や咽頭に複数のがんがあった

金田:本の形で残そうと考えたのは、国立がん研究センター東病院のセカンドオピニオンが取れて、東大病院からの転院が決まったあたりかな。ある取材先と話をしていた時に、「金ちゃん、これ記録に残しているよね。これは、後の人のためになるんじゃないの?」という話があって。

 その時は、まだ転院しただけで、書籍にするほどの価値があるかどうか分からなかったけど、入院前から記録だけは取り続けていこうと。今も、この本にどれだけ価値があるか分からないんだけど。

──メモは病床で書いていた?

金田:実は、東大病院に入院した時から記録はつけていた。1冊のモレスキン・ノートを記録用として、カバンに入れて入院したのよ。2020年3月1日に下北沢で吐いたところから入院までは思い出してメモして、入院してからは常に起きたことを記録していった。

 また、後でイメージができるように、メモ帳の裏の方から病院や部屋の見取り図も書いた。トイレやナースステーションの場所、4人部屋のこのベッドには○○さん、このベッドには○○さん、入れ替われば新しい人についても、どんな人か、どんな状態かといったことをぜんぶ書き残した。

──取材ですね(笑)

金田:取材だよ。あとは、看護師と医者の名前と評価もメモした。毎日看護師が変わるから、名前と、その対応がどうだったか、医師や看護師を格付けして10段階評価も書いておいた(笑)。

──がん治療の体験がないので分かりませんが、抗がん剤治療は体力的にきついと聞きます。メモを取る余力はあったのですか?