藤井聡太 写真/Rodrigo Reyes Marin/アフロ

(田丸 昇:棋士)

はじめての防衛戦

 藤井聡太二冠(18=棋聖・王位)は昨年7月、棋聖戦5番勝負で挑戦者になって渡辺明棋聖(37)を3勝1敗で破り、17歳11ヵ月の最年少記録でタイトルを初めて獲得した。

 それから1年後、藤井棋聖は初防衛戦を迎えた。

 挑戦者は、前棋聖の渡辺名人(王将・棋王を合わせて三冠)。棋聖戦の決勝トーナメントで4連勝し、藤井と再戦することになった。

 渡辺は今年、王将戦7番勝負で永瀬拓矢王座(28)に4勝2敗、棋王戦5番勝負で糸谷哲郎八段(32)に3勝1敗、名人戦7番勝負で斎藤慎太郎八段(28)に4勝1敗で、若手の挑戦者をそれぞれ下して防衛を果たしていた。現役最強と評されるにふさわしい充実ぶりだった。

敗れたタイトル保持者はどうなるのか

 ボクシングの試合では、タイトルマッチで敗れた選手権保持者が、同じ相手に挑戦者としてリターンマッチすることはよくある。

 しかし、将棋のタイトル戦では、ボクシングのようなわけにはいかない。敗れたタイトル保持者は、決勝トーナメントやリーグ戦で勝ち抜かないと、挑戦者になれないのだ。

 タイトルを奪われた失意の状況で、第一歩から勝ち上がって挑戦者になるには、実力だけでなく不屈の精神力と勝負運を要する。

 過去20年でそうした挑戦は10例ほどあり、そのうち7例が羽生善治九段(50)だった。ただタイトル奪還は3例で、さすがの羽生も「リベンジ」は容易ではなかった。

挑戦者としてタイトルを奪還した大山康晴

 1960年代から70年代にかけて、タイトル(当時は五冠)をほぼ独占して無敵を誇っていたのが大山康晴名人(享年69)だった。その間、1963年に王将戦で二上達也八段(当時31)、1966年に棋聖戦で二上八段、1968年に十段戦7番勝負で加藤一二三・八段(同28)に敗れてタイトルを失った(棋士の肩書はいずれも当時)。

 大山の失冠はわずか3期だった。しかも、それぞれの次期タイトル戦で勝ち上がって挑戦者になり、二上王将、二上棋聖、加藤十段を破って、タイトルを奪還したのだ。

 そんな大山の強さを表す驚異的な記録が、1957年から1967年までの約10年間で、タイトル戦50期連続出場である。今後も破られることはないだろう。