やり場のない怒りを抱えての「終わり見えぬ避難」

 長泥地区でも住民集会が開かれた。その日、村の集会所には60人程の住民が集まっていた。鴫原さんがまとめ役となり、話し合いが始まった。しばらくは、あえて避難の話題を避けるように、村祭りをどうするか、などのとりとめもない話が続けられた。だが突然、住民の一人が「全員避難の件はどうするんだ!」と叫んだ。するとその言葉によって堰が切れたかのように、狭い会場内を弩号が飛び交い始めた。

「あんたは村を棄てろと言うのか! 村を棄てて何処さ行けというのか!」

 怒りの矛先は鴫原さんに向かっていた。

「政府がこの村から出て行けと決めた事だから、俺たちにはどうしようもねぇな。政府も村が一つ二つ消えて無くなったところで、痛くも痒くもないんだろう!」

「東電だって好きで放射能をぶちまけたわけでもねえだろうが・・・」

 長年住み慣れた家、畑、家畜、すべてを棄てて、身ひとつになってこれから何をすればいいのか!

 結局、その場では誰も結論は言えず、集会は終わった。だが皆、結論は言われなくともわかっていた。

 5月初旬、飯舘のどこよりも遅い桜の開花を迎えた長泥地区は、最後の宴を開いた。

「いつになく寂しい酒になった」 と、散りゆく桜の花を眺めながら、鴫原さんが言った。