牛との別れ

 Oさんに、畜産農家の佐藤さんの畜舎を教えてもらい、訪ねた。

 佐藤さんは、ちょうど牛舎の中で今年生まれた仔牛の首をマッサージしていた。仔牛は甘えてさかんに首を回しては、佐藤さんの顔を舐めようとする。牛舎では20頭ほどの黒牛が口を左右に動かしながら餌を食べていた。

 佐藤さんが仕事の手を休めて語ってくれた。

「私達は、それこそ血の滲むような苦労をして、やっと“飯舘牛”というブランド牛を育てあげたんです。やっとこれからという時だったのに、原発と一緒に全部吹っ飛んでしまったという感じです」

「売れない牛を飼う余裕なんてないですよ。餌代だけででも毎日数万円が出ます。もう誰も福島の肉なんて食わないでしょう」

 佐藤さんはそう話ながらも、近く処分するつもりだという仔牛の首をいとおしそうに撫で続けていた。

処分する予定の仔牛をかわいがる畜産農家の佐藤さん(写真:橋本 昇)
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 これは飯舘村だけの問題ではない。福島、茨城、栃木、千葉、これまで首都圏の台所を支えて来たこれらの地域の生産者は、皆苦しんでいた。福島県相馬市の酪農家が牛のいなくなった牛舎で自殺したというニュースを聞いた。これも災害の関連死だ。