「なんでこんな目に遭わなきゃなんねぇーのか、俺にはわかんねぇー。ここの人間は原発から一銭ももらってねぇーもの。これからどうすんべー」
鴫原さんも牛を4頭飼育する畜産農家だ。奥さんと息子さんと2人の孫との暮らしだった。
捨てねばならぬ村
村の十字路にある掲示板のモニタリングの数値を3、4人の村人たちが見つめていた。
「下がんねぇー、下がんねーべ。ずっと16のままだ」
「マイクロシーベルトが恨めしい」
みんな突然ふってきた災に暗い顔をしている。
鴫原さんは地区長という立場で、これから村人たちをまとめていかなくてはならない。問題は山ほど突きつけられていたが、わかっているのは、村を棄てねばならないということだけだった。
さらにもう一軒、蕨平地区の畜産農家を訪ねた。そこは隠れ里のように杉林の中に埋もれた集落だった。
訪ねた須賀さん(67)の家は、大きな杉の古木が敷地を囲み、二棟の牛舎には15頭の黒毛和牛がいた。須賀さんの生業も仔牛を生ませ、仔牛がある程度成長するまで面倒をみて出荷するという「繁殖農家」だ。
広い庭を歩かせてもらった。ふと硝子戸から家の中を見ると、お婆さんが厚い布団に埋もれるようにして寝ていた。
戸をそっと開け「お婆さんこんにちは!」と声をかけた。和室の天井に近い壁に兵隊姿の男性や紋付姿の老人たちの写真が飾られている。その写真の人たちが、床に伏したお婆さんを見守っているように思えた。
「ばあちゃんは2年前から寝たきりになってしまって。大地震が起こった時はこの家も大きく揺れたからわかったとは思うけれど、今、蕨平で起きていることまではわからないでしょうね」
蕨平地区は浪江町にも近く、放射能の数値も高い。須賀さんにも“避難”という現実が迫ってきていた。しかし、それはずっとこの土地と共に生きてきた母親をふる里から引き離すということだ。
「仕方ないですね」
と、須賀さんはさっぱりとした表情をしている。いまさら愚痴や恨みを吐いても仕方がない、そう思えるまでには、きっと多くの葛藤があったはずだ。
お婆さんの手を握った。ほんのりとした温かさが手に伝わった。
「お元気で!」
お婆さんが、何か喋りかけるように口をもぐもぐさせた。