2017年6月、安倍晋三首相(当時)の特使として訪韓し、文在寅大統領と会談した二階俊博自民党幹事長(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

 自民党幹事長の二階俊博は初当選以来、外交を重視してきた人物である。中国をはじめアジア各国との強力なパイプはよく知られているが、それだけではない。アフリカ、中東、南米に至るまで独自の人脈を誇り、国家間の外交窓口を通さない直行便のような“二階ルート”を構築している。永田町では「外交は票にならない」と言われるが、二階にとってはむしろ、外交こそが力の源泉であり、ライフワークである観光振興、災害対策などの内政政策に結びつけている(文中敬称略)。

アフリカに生け花の師範

 1989年10月、衆院予算委員会で初めて質問に立った二階は、1987年夏にチュニジア、カメルーン、コートジボワール、トルコを訪問した際のエピソードに触れている。全日本男子バレーボールの監督、生け花の師範、マンドリンの奏者らに同行してもらい、現地でデモンストレーションを行ったところ、大歓迎されたと力説している。首相の海部俊樹には「たとえ遠い国であっても、スポーツや文化をかけ橋にしてお互いに心の交流を通じて、互いに握り合った手のぬくもりを通じ、真の友好関係が生まれてくる」と訴えている。

 さらに、地価の高騰で発展途上国が日本に大使館を設置しづらい現状を報告し、天安門事件後の中国情勢についても議論を挑んだ。これらのテーマだけで持ち時間の4割超を消化する熱の入れようだ。50歳になっていた二階だが、代議士としてはまだ当選2回の若手に過ぎない。総じて選挙地盤が弱い若手議員は、票に直結しにくい外交の問題を避けようとするが、二階にはそういう認識はなかったようだ。

 二階を外交に目覚めさせたのは、竹下派七奉行の1人で、郵政相などを歴任した奥田敬和とみられる。1985年3月、奥田は「列国議会同盟」(IPU)の会議に出席するため、西アフリカ・トーゴを訪れることになった。「一緒に行かないか」。奥田はIPU訪問議員団の団長で、後輩の二階に声をかけた。

 なぜ新人の二階が誘われたのか。二階の評伝を手がけている作家・大下英治の『永田町知謀戦』(さくら舎)によると、奥田は上司にあたる元首相の田中角栄から「二階君を助けてやってくれ」と頼まれたためだという。