二階俊博は数百人、時に何千人もの民間人を率いて外国を訪問する。最高動員記録は2002年9月の「日中国交正常化30周年記念式典」に伴う訪中である。約1万3000人の日本人が人民大会堂に駆け付け、中国側の度肝を抜いたことは有名だ。二階は「友好親善」の旗の下、歴史や文化を活用しながら、経済的利益に発展させていく手法で世界中にネットワークを広げていった(文中敬称略)。
ハスから鉄砲隊まで
二階の専売特許に「ロータス(ハス)外交」がある。ハスは平和を象徴する花で、ベトナム、インドなどアジア各国とのパイプを“花ネタ”で構築している。和歌山放送報道制作部の単行本『地元メディアが見た 二階俊博 力の源泉』(創藝社)によると、ロータス外交の源流は、二階の高校時代の生物教師が「大賀ハス」を発見した植物学者、大賀一郎の弟子だったことにさかのぼる。
大賀ハスとは1951年、千葉市内で発掘された古代の丸木舟の中から、2000年前のハスの種が見つかり、大賀がこの種を育てて開花させたことに由来する。二階は和歌山県議時代から大賀ハスを中国で植栽する活動に取り組んできた。ちなみにインドのモディ首相率いる政権与党、インド人民党(BJP)のロゴマークもハスである。二階はアジアの花街道(ロータスロード)構想を20年以上前からぶち上げ、人脈につなげた。
十八番である“和歌山ネタ”もカギを握る。2015年2月、二階はソウルを訪れ、青瓦台で韓国大統領の朴槿恵と会談した。当時、日韓関係は非常に冷え込んでいたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵に絡んだ両国のエピソードが役立った。前出の『二階俊博 力の源泉』によると、朴・二階会談で、加藤清正の配下にいた紀州の雑賀鉄砲隊が「このいくさには大義がない」として、李氏朝鮮に味方した話で盛り上がったというのだ。歴史的には根拠のはっきりしない話だが、雑賀鉄砲隊の雑賀孫一郎が朝鮮に帰化し、「沙也可」と名前を変えて李氏朝鮮の将軍になった伝説が残っている。和歌山市内には沙也可の顕彰碑まで存在している。地元ネタを要人会談の切り札にしているのだ。