終戦直後のシネマロサが出発点

 まずは、ざっと歴史から。現在の建物は1968年竣工だが、西口のこの地での歴史は終戦後、季顕社長の父親である伊部禧作(きさく)氏の時代に遡る。禧作氏は山之内製薬(現アステラス製薬)の重役で、母方の実家(尾形家)が池袋東口で鋳物工場を経営していた。しかし終戦後,工場は接収されてしまう。尾形家の将来を案じていた禧作氏は、映画関係に詳しい友人から「映画娯楽の商売を始めてはどうか」と薦められる。映画に可能性を感じ、尾形家などとお金を出し合って、現在のロサ会館がある場所に映画館をつくることにした。


東京都豊島区西池袋1-37-12

 1946年、映画館「シネマロサ」が開業。つまり、終戦の翌年からすでに、この地には「ロサ」があったわけだ。ロサは、スペイン語でバラを意味する。

 シネマロサは大ヒットし、シネマ・リリオ、シネマ・セレサを次々と増館した。ちなみに、リリオはユリ、セレサはサクラを意味する。

 しかし、映画館事業は儲かるがゆえに新規参入が多く、60年代後半には急速に斜陽化。禧作氏らは事業形態の転換を検討し、映画館を取り込んだ総合娯楽施設を建設することにした。

 設計・施工は清水建設に依頼。鉄骨鉄筋コンクリート造、地下3階・地上8階。延べ面積約1万5000m2。ボウリング場と映画館を核に、大小の飲食施設などで構成された建築が1968年に完成した。

 知りたかったことの1つが、「なぜ清水建設だったのか」という点。だが、これは季顕社長にもよく分からないという。「父(禧作氏)は製薬会社が本業で、そういう業界には人脈がなかった。おそらく銀行から紹介されたのではないか。どんなテナントを入れるかも含めて、清水建設にほとんどお任せだったようだ」と季顕社長は言う。季顕社長は、ロサ会館の完成当時はアパレル会社の社員で、ロサ会館の経営には関わっていなかった。

 知顕取締役が「もうこれ1つしかないんですが…」と言って、テナント誘致用のパンフレットを見せてくれた。これはディープな資料。萌える!