こうした再評価を受けてか、昨今では「不器用だけど根は真っすぐ」的なイメージが持たれ、ゲームなどに登場する石田三成のビジュアルはイケメン化が進み、やたらとキャラクターとして人気が出ています。もしかしたらイケメンに描かれるようになったから再評価が進んだのかもしれない、という気がしないでもありませんが・・・。

「賄賂老中」は今や時代の先駆者?

 石田三成と並んで、かつて悪者イメージが強かったものの近年になって「実は大した奴だった」と再評価が進んでいる人物がいます。それは江戸幕府老中の田沼意次(たぬま・おきつぐ、1719~1788年)です。

 田沼意次は、株仲間などの商人組織を優遇し、多額の賄賂を受け取り、その政務や人事を恣意的に決めていたという“賄賂政治家”のイメージが強く持たれていました。田沼意次の所領のあった静岡県牧之原市では、「田沼と言ったら賄賂」というイメージを逆手に取り、筆者も一度は誰かに送ってみたい「ワイロ最中」という土産菓子を製作、販売するまでに至っています。

 そんな元農水大臣を彷彿とさせる田沼意次ですが、近年になって「本当に、それほど突出して賄賂を受け取っていたのか?」という疑義が呈されてきています。

 そもそも田沼意次が老中だった第10代将軍・徳川家治(とくがわ・いえはる、1737~1786年)の時代、賄賂という金銭の付け届けはごく一般的で、誰もがやり取りする習慣でした。田沼意次以外の幕閣のみならず、後年に田沼意次を批判してその政策を改めた「寛政の改革」でお馴染みの松平定信すらも、ほかならぬ田沼意次へ賄賂を贈っていたことがわかっています。

 ではなぜ田沼意次のみが“賄賂にまみれた政治家”とみなされるようになったのか。理由は大きく分けて2つあると考えられます。

 1つ目は、石高の低い立場から、側用人、老中と大出世を遂げたことで周囲の嫉妬を買ったためです。側用人出身でありながら異例と言えるくらいの大出世を遂げたことから、どんな手を使ってでも出世しようとした人物と見られていたようです。