*写真はイメージ

(廣末登・ノンフィクション作家)

 令和2年もあと余すところ僅かである。筆者の約半世紀の人生を振り返っても、これほど暗く、先が見えない年はなかった。様々な業種は、未知の壁にぶつかり、生き残りのために試行錯誤を余儀なくされた。前回のコラムで紹介したテキヤも然りである。

 しかし、何より決定的な打撃を受けたのは、夜の歓楽街のお店、そして、そこで働く人たちではないだろうか。「夜の街」という言葉が社会を分断したことは記憶に新しい。コロナ禍の下で、ホストクラブ=コロナ蔓延という構図ができ、彼らが非難の対象となったことに、筆者は、日本国民として忸怩たる思いを味わった。筆者の脳裏には、過去に袖振り合ったホストの人たちの顔が浮かんでいたからだ。

ホストクラブという非日常空間

 ホストという職業は、筆者が経験したことのないキャリアである。「ヤクザ研究者」でもある筆者は、取材で上阪したときに、姐さんたちと同道してホストクラブにお邪魔することがある。純朴の気風を持つ九州人の筆者は、関西のホスト諸氏からすると「イジる」対象なので、防戦一方となり、社会学者として、当該社会をじっくりと観察する余裕がない。ちなみに、関西のホストクラブでナンバー1は、40代くらいの年齢であり、ビジュアル系の若い人は、ドアマンや、先輩ホストのヘルプである。

 しかし、ホストクラブが非日常的で不思議な空間であることは間違いない。そこで、筆者は、元売れっ子だったホストの渡氏(源氏名・仮名)に、彼が生きたホスト社会について話を聞いてみた。