3密回避のために「少人数学級」が検討されている。だが、少人数学級にはどれほどの効果があるのか。果たして本当に必要なのか? 教育経済学の第一人者・赤林英夫氏(慶應義塾大学経済学部教授)が、“聖域”とされている教育に“お金”で斬り込む。短期集中連載・第1回。
筆者の専門分野は教育経済学です。教育制度や政策の意義を、数字やモデルを使い、いわば、教育を損得勘定で考えるのが仕事です。
良い教育とはどういうものか、という議論はネット上にもあふれています。どれも見るからに聞こえがいいのですが、実際にそのすべてを行うことは、学校でも家庭でも不可能です。お金も時間もとても足りないからです。
かけなければならない時間やお金のコストに対してそこから得られるものをベネフィットとし、両者を比較して「全部はやらないようにする」のが教育経済学です。いってみれば、「良さそうなのは何でもやろう」という、いけいけどんどん論の対局にある考え方です。コストと比較しなければならないので、ベネフィットもできるだけお金に直します。もちろん、教育で大事なのはお金だけではありませんが、話をわかりやすくするためです。
日本では、「命が大事」と言われると、費用対効果を考えずにいくらでもお金をかけなければならない、と考える人が多いように思います。教育も同様で、子供のためならお金も時間も糸目をつけないという人もいるでしょう。それだけなら個人の自由ですが、国や自治体がそれをやると、税金は無限に必要ですし、学校の先生は無限に働かされます。家庭も社会も、どこかで判断基準が必要ですし、そのために、教育経済学の考え方はとても有益です。
教育をお金で考えるなんてけしからん、とか、教育を功利主義で考えることが日本の教育をダメにしたんだ、という主張があることも承知しています。それについては連載の最後で触れることにして、この連載では、コロナ下であらわになった日本の学校教育を巡るいくつかの問題を考えてみたいと思います。
コロナウイルス危機は、日本の学校教育を根底から変えようとしています。政府が一気に廃止の方向で進めようとしている日本のハンコ社会と同様に、日本の教育でも、これまで当たり前と思っていたけれど実はそうではない、そうであってはならないことがあります。日本社会は外圧がなければ変わらないとよく言われますが、コロナをきっかけに日本の教育の考え方を本気で変えられるかどうかは、私たち次第です。
では、コロナ後の日本社会がどこかで考えなければならない、日本の教育の課題をいくつか取り上げてみましょう。