その後も2017年に、105人の定員に110人超の候補を推薦するよう求められ、学術会議はそれを受け入れた。要するに官邸の人事介入は今回が初めてではなく、今まで学術会議がそれに抗議したこともない。学術会議にとって最も大事な問題は、人事の独立性ではないからだ。

占領軍が学術会議をつくり共産党が支配した

 学術会議が設立された1949年は、日本がまだ占領統治のもとにあった時代で、その制度設計には占領軍が深くかかわっていた。憲法で日本を武装解除する一方、軍需産業は解体し、二度と軍事技術をもてないように監視するため、会員を公選制とし、総理府の機関として内閣直属にした。

 ところがこの制度設計が裏目に出た。元会員の村上陽一郎氏は「日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました」と書いている。

 このF氏とは福島要一、「ある政党」とは共産党である。福島は1949年に農林省を退官したあと、大学に所属していなかったが、85年まで学術会議の会員を務めた。当時は修士以上の研究者は誰でも投票できたため、全国の共産党支持者を動員して11期33年間(1期は落選)も会員を続けたのだ。

 共産党に支配された学術会議は、1950年の「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明」などの極左的な声明を出し、諮問機関として機能しなくなった。

 この状態を是正するため、1984年に学術会議法が改正されて学会推薦になったが、今度は学会ボスが研究費を分け合う場になった。そこで学術会議に代わって科学技術庁の中で調整役だった科学技術会議が2001年の省庁再編で内閣府の総合科学技術会議になり、諮問機関としての役割を果たすようになった。学術会議は内閣府の直属になったが、業務が重複するため、総合科学技術会議の中に学術会議改革委員会が設けられた。

 2003年に出た改革案では、欧米主要国のアカデミーのような政府から独立した法人格を有する組織が望ましいとしたが、学術会議はこれを拒否し、会員を学会推薦から会員推薦に変えただけだった。その後も内閣府の有識者会議が独立性を高めるよう提言したが、学術会議は改革を拒否したため、政府は2007年を最後に諮問しなくなり、休眠状態になった。

 学術会議が世間の話題になったのは、2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」だろう。このときは1950年の決議を継承して、全国の大学や研究機関に軍事研究をしないよう呼びかけ、京大などがそれに従って軍事研究を禁止した。

 この歴史をみてもわかるように、学術会議が改革を拒否して一貫して守ってきたのは人事の独立性ではなく、内閣直属の政府機関としての権威である。それは科学研究費補助金(科研費)の審査委員を選ぶ権限や科学技術予算を配分する権限など、政府の意思決定に影響を及ぼすためだ。

 学術会議の予算は年間10億円余りだが、今年度の科研費は2300億円、科学技術関連予算は4兆3000億円である。軍事研究の禁止声明も、学術会議が政府機関でなかったら話題にもならなかっただろう。