日本の尖閣諸島を目指して出発する中国の漁船団(写真は2012年9月16日、写真:アフロ)

国家的危機に何もしない国会は解散せよ!

 外交、経済、防衛のいずれもが危機的状況を迎えようとしているのに、国会は閉会し、日本政府は日本経済が倒れていく様を呆然と眺め、自民党の税調はこの経済的危機にあって増税を審議している。

 米国は、景気回復のために大統領令を発出してコロナと戦いながら、次々と救済策を打ち出しているのと対照的だ。

 コロナ禍、それに引き続く経済の崩壊、そして米中の本格的軍事対決の危機が迫っているのに、何も議論しないどころか、経済でさらに国民を痛めつけ、香港や中国問題には見て見ぬふりするこの国に異様さを感じないだろうか。

 本来、国の危機をいち早く訴え、警鐘を鳴らさなければならないマスコミや保守と言われる人たちは、一部を除き「米中の対決に日本は巻き込まれることなく、のらりくらりとかわして行けばいい」と言う始末だ。

 最悪の事態に備え、事前に手を打っていかなければならないとする考え方は、どうもこの日本では極少数派の意見のようで、そのため国民に国家的危機の認識がない。

 少なくとも、8月16日以降、中国漁船が大挙して尖閣周辺に押し寄せることが予測されていながら、何も議論することがないのだろうか。

 国家の危機に無反応で道義も失った内閣は総辞職すべきであり、衆議院は即、解散し総選挙を実施すべきではなかろうか。 

 争点はただ一つ、米国と共に自由主義国家と共に歩むのか、それとも化けの皮が剥がれた非人道的な中国の属国として生きるのかである。

激変する未来を予測できない日本

(1)戦後、軍事を排斥した日本

 戦後、軍事をないがしろにし、現実の危機や紛争から憲法の制約だと言って逃げ続けてきた日本人は、最悪を予測してそれに備えるという危機管理の鉄則まで放棄してしまった。

 それに加え、多くの日本人が中国の軍事的挑戦に慣らされてしまい、抵抗の意思さえ示さなくなっている。

 警察の力と権限で軍事力に立ち向かうことはできないので、いずれ簡単に尖閣諸島は獲られてしまうだろう。

 コロナ禍にあって日本は、何となく小康状態を保ち、経済的大不況の前触れにも、米中の本格的対決の時が迫っていることにも反応せず、政治家、経済界などは米中どちらが儲かるかで両者を天秤にかけている。

 日本以外の世界の指導者が宣言するように、ワクチン開発までの「見えないコロナウイルスとの闘い」は、いわば戦争であり、それに起因する「経済崩壊」と「米中の本格的対決」は世界を二分するだろう。

 それは形を変えた戦争が拡大しながら継続するということだ。

 これは予言者でなくとも、最悪のシナリオを考えれば自然と導かれる未来図だ。

 前例踏襲の調整型の危機管理しか考えず、政府の危機管理組織に軍事的知見を持った専門家がいない日本は、最悪に対応する軍隊型の危機管理が分からないし、決断し実行するシステムになっていない。

 コロナウイルスの感染爆発を何とか食い止めている今こそ大胆に国の行く末を考えなければならない時なのに、思考停止している。

 現段階は、コロナに対処をしつつ、経済の底が抜けないように手当てし、自立の道を支援することが重要だ。だが政府がこの難しいかじ取りをしているようには見えない。

 しかし、コロナ禍と経済崩壊への対処は言わば前哨戦であり、次に来る米中本格対決こそ本丸である。

 日本は自由世界で生きるのか、全体主義国家に跪くのか、大きな決断を迫られる。

 いずれにしても、日本は真に戦える軍事力を至急構築しなければ、国難の連続を乗り切ることはできない。

 情勢は、これらへの対応を無駄と考える日本を置き去りにして、従来の考えが全く通用しない時代へと突き進んでいるのだ。