*写真はイメージ

 そのグループの人たちは、善意に満ちていて、みんないい人、善男善女。皆さんそこで居心地がよさそうなのだが、自分は気持ちが悪くて仕方なかった、と話す人がいた。「いや、人間ってそうじゃないだろう」という違和感が拭えなかったそうだ。

 私も似たような覚えがある。みなさん善人なのに、何かがウソ臭い。何だろうこの違和感。以前、ボランティアをする人の中には、自己陶酔した人を目にすることがあった。「社会的弱者に手を差し伸べる私は素敵、あなたもどう? 私を見習ってみては?」という感じが伝わってきて、アマノジャクな私は苦手だった。だから私は、ボランティアを毛嫌いしていた。阪神大震災が来るまでは。

我を忘れた阪神・淡路大震災の惨状

 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の発生直後に現場に入りそびれた私は、何を今さら、とためらっていた。すると父が「ともかく見てこい」と言うので、最初の土曜日に、西宮北口駅から歩いて神戸へと向かった。

 西宮でも、傾いてしまってもう住めないな、という家が散在していた。「かわいそうに」と同情する自分を自画自賛する自分、自己陶酔する自分に呆れ果て、ヘドが出る自分。いろんな思いが交錯し、「ああ、俺って偽善者だなあ」と思いながら歩いた。

 国道を歩き続け、ふと右の路地を見ると、白く巨大な壁で道がふさがっていた。不思議な壁の作り方だなあ、と近寄ると、根元でポッキリ折れたビルだった。道の向こうの家をつぶして、道をふさぐ壁のように立ちはだかっていた。その瞬間、私は泡を食らった。

 このビルに人はいないのか? 潰されたあの家には? どうすればいい? 夢中になって駆けずり回った。

 夕方になり、ひとまず戻ることにした私は、電車に乗った途端に気絶した。大阪に着いて立とうとしたら、足が動かなかった。歩き過ぎて動けなくなっていた。