2015年11月、プロテニスプレーヤー・錦織圭選手(左)と長期パートナー契約を結んだことを発表する社長当時の植木義晴氏(写真:アフロ)

 航空業界に猛烈な逆風が吹いている。新型コロナウイルスの影響で、4~5月の運航便数の実に80~90%が運休に追い込まれた。この大逆風で経営が悪化した日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)など航空各社は、政府や金融機関に資金支援を要請した。

 要請額は政策投資銀行からの融資や税の猶予、減免などを含めて約2兆5000億円。航空会社によりその金額は違うが、ANAが支援総額の半分以上にあたる1兆3000億円で、ライバルのJALはその半分以下の6000億円に過ぎない。

 金額だけ見れば、ANAの苦境は一目瞭然だ。なぜ、これほどの差がついてしまったのか。原因は、2010年1月のJALの経営破綻に関係している。

法人税減免と赤字路線廃止、そしてリストラで「再生」

 JALが経営破綻して今年で10年を迎える。約2兆3000億円の負債を抱えたJALを支援するため、当時の民主党政権は金融機関に5215億円の債権放棄を迫り、100%減資で上場を廃止。これによりJAL株は紙屑となり、多くの株主が涙を飲んだ。

 またJALは、企業再生支援機構から3500億円の公的資金を投入されただけでなく、法人税まで減免された。会社更生法を適応された企業は、過去の赤字を持越して法人税を減額できる特例措置がある。JALも、この制度の恩恵にあずかり9年間で4300億円以上もの法人税を減免されたのだ。

 法人税まで減免されたJALは公共交通機関としての役割をかなぐり捨てて、不採算路線を次々に廃止するなど徹底的なコスト削減を図り再生に邁進した。それに並行して、全従業員の3分の1にあたる約1万6000人のリストラを断行したのである。

 その結果、JALは、上場廃止から僅か2年7カ月後の12年9月に再上場を果たしたのである。驚異的なスピードでの再上場を主導したのは、破綻時に京セラから招聘された稲森和夫会長だった。

 稲盛会長はJALに乗り込んだ後、現場を取り仕切る運行本部長に一人の男を抜擢した。それが今や“JALの新たなるドン”と呼ばれる植木義晴会長(67)なのだ。

 多士済々の多いJAL社員の中でも、植木氏は特に異色の経歴を持つ。1975年に航空大学校を卒業後、日本航空に入社したパイロットで、大手航空会社では国内初のパイロット出身の社長、会長ということになる。

 また、植木氏の父親は坂東妻三郎や長谷川一夫などと並ぶ、昭和初期の“銀幕の大スター”だった俳優の片岡千恵蔵だ。ちなみに、植木氏も映画『大菩薩峠』などに子役として出演した経験があるのだが、父親の厳しい演技指導に俳優の道を断念したというエピソードを持つ。

 JALが再上場を果たす7カ月前となる2012年2月、稲盛会長は植木氏を取締役に選任すると同時に社長に大抜擢した。マスコミはこの人事を「超大穴」と驚きをもって報じたものの、JAL社内では「やはり」と納得の声の方が多かったという。