ビフォーコロナへの回帰を願う経営者

話が戻ってしまうんですが、何に信頼を置けば、社会が安定し、人間が幸せに暮らすことができるのかを模索する時期に来ていると思います。
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それが今回の対談のテーマだよね。トラストの再考。

ただ、そのことを政府や大企業の経営者にはなかなかご理解いただけないんですよね。

しばらくすると、ビフォーコロナに戻ると思っている人がすごく多い。多いというより、圧倒的多数かな。ただ、一定の割合で元には戻らない。

そこは読みですよね。元に戻るかもしれない。ただ、戻らなかったときにどうするかということは考えないといけない。その考えることを放棄して、首を低くしていれば嵐が過ぎ去ると考えている人が多いのだとすれば、その人は次の世界でチャレンジする切符はつかめない可能性は高いと思います。

コロナのあとにどういう社会が到来するのかということは政府も分かっていると思います。ビフォーコロナの時代に戻れないということも。ただ、現時点では、緊急事態宣言とステイホームくらいしか言っていませんから。分かっているからこそ、あえて「我慢しろ」という以外のことを言わないのかもしれませんが。

政府という点で言うと、現場の第一線で尽力している財務省や厚労省の方が現状に敏感です。感染症対策をまず打ち、その後はダボハゼ的に出てくる動きに身を委ねるしかないとはっきり言っていましたから。

政府も投資家も企業家も、分かっている人はコロナは既に起きてしまったことなのだから、流れに身を任せるしかないというモードになっています。濁流になったら濁流対策、水の流れが緩やかになればできることをやるというふうに。

その上で、トリアージ(患者の重症度に基づいて治療の優先順位をつけること)ではありませんが、何を守り、何を捨てるのかという議論が必要になると思います。社会の中で、何を守るべき価値とし、何をあきらめるのかをきちんと考えなければなりません。日本社会全体でトリアージを考えるには、もう少し時間がかかりそうですが。
弾が切れたあとに銃剣で戦う強さはあるか?

どのぐらいで議論が深まりますか?

倒産件数が増えたときではないでしょうか。恐らく、これから企業倒産のパターンのようなものが見えてくると思うんです。コロナによる需要減でパタンと倒れるものと、コロナ前からおかしかったところがあったとして、経済の新陳代謝と見るか、総花的に助けていくのか。地方経済や自治体で突然死するところも出るでしょうし、社会不安が昂じると、一層過激な官邸デモやオンラインデモが起きるかもしれない。そういう点も踏まえて、政策を考える必要があります。

雇用維持のために、ニューディール政策のような需要喚起政策が出てくるでしょうね。

間違いなく。
──編集部から1つお聞きしたいのですが、将来的な増税やインフレが不可避だとして、富裕層ではない普通の市民はどうすればいいのでしょうか。

津波が来たときに一目散に高台に行くという・・・

津波てんでんこ。自分の親やきょうだいは関係なく、一目散に逃げろと。各自で避難することを事前に家族で話し合っておくなど、津波に対する心構えを示した言葉です。

そう、それ。津波で言えば、「高台に行け」と言えるのですが、今はステイホームぐらいしか言うことがない。みるみるお金が減っていく家庭に対しては、お金をなるべく使わずに生活しましょう、使える助成金は何でもを使って身を固めましょう、という以上にアドバイスのしようがない。
会社にしがみつけば、会社ごと倒れるかもしれない。公務員だってこのあとはどうなるか分かりません。

今問われているのは、戦場で弾薬が尽きたときに、持っている銃剣を武器にして戦えるかどうかというところの強さだと感じています。
弾が切れたから戦えないとなるのか、棍棒代わりにして戦うか。手元にあるものを最大限に生かしながら、家族や大切なものをいかにして守るか、何を捨てて何を守るかというところで覚悟を決めて、少しでも未来の見える選択肢を的確に選ぶことができるか。問われているのはそういうところだと思います。