令和時代になって初めての初場所・14日目は天覧相撲であったが、横綱の姿はなかった。翌日は千秋楽。結びの一番で大関・貴景勝を破って優勝した幕尻・徳勝龍は、懸賞金を手にするや感極まって男泣きした。
表彰式のインタビューが始まると、関取は四方にお辞儀する律義さ。
そして質問に聞き入りながら、「(優勝をどう感じるか?)自分なんかが優勝していいんでしょうか」「(どのあたりから優勝を意識したか?)いや意識することなく、・・・(暫くして)ウソです。めっちゃ意識していました」「(単独トップに立った時、意識していないと言っていたのはウソでしたか?)ばりばりインタビューの練習をしていました」
純というか真情を吐露する素直な受け答えで、館内を笑いと大歓声の渦に巻き込んだ。40余回も優勝した白鵬からは感じとれない、改めて大相撲の魅力を感じさせた記憶に残る場所となった。
特権の濫用は許されない
休場や負け越しの度合いで番付が左右される横綱以外の力士は、少々の怪我でも無理して土俵に上がる。また休場していても自分の体調が回復したと思うと負け越しが分かっている途中からでも土俵に上がる。
切羽詰まっているという言い方もあろうが、一方で少々の怪我を押してでも土俵に上がる喜び(勝てば歓びは倍加し自信ともなる)と、観客への奉仕の精神であるとも言えよう。
観客もそうした力士の覇気を感じとり惜しみない拍手で迎える。優勝や勝ち越しとは全く無関係であるが、力士と観客の気脈が通じ合うからである。
ましてや横綱には取り組みのほかに、「土俵入り」がある。常連の観客は別としても、大袈裟に言えば一生に一度の観戦という人も多いであろうし、そうした人たちは横綱の土俵入りを期待してチケットを購入したに違いない。
この観点からは勝敗にかかわらず、また三役や平幕力士以上に横綱は最後まで土俵を務めることが求められているのではないだろうか。
いや「休場」は横綱の特権であり、権利の行使だというかもしれない。しかし、義務があって権利が生じるとみるのが通常である。