小沢は何よりも政権奪取に価値を見い出しており、そのためには、どんなことでも受け入れる。このはっきりした姿勢で、2000年代以降も政治生命を維持してきた。自らの地位にこだわり、党の存続自体を重視している野党が多い中、小沢のスタンスは明快である。

「左派」取り込みと「一兵卒」の立ち位置

法則2 「左」を押さえる

 細川護熙政権の経験がベースとなっていると思われるが、小沢は「左」を意識した動きを繰り返している。細川政権時は、社会党左派の土井たか子を衆院議長に押し込めることで「左」を取り込んだ。

 この応用パターンが、03年の民主党合流後にも現れる。民主党入りした小沢は党内の左派リーダーである横路孝弘に急接近し、外交・安全保障問題で議論を重ね、関係を強化していく。横路は自由党の合流に当初強く反対していた背景もあった。今日の政界地図の中では小沢自身が「左」に位置しているように見えるだろうが、その現状認識はさておき、「左」を意

識して布石を打っていくのが小沢の基本原則となっている。

 安倍一強時代に対抗するべく、小沢が共産党委員長の志位和夫に接近したことも、「左」を押さえる戦略・戦術の一環ととらえていいだろう。野党共闘のために、最も「左」の志位とパイプを持つことで、小沢が主導権を握ったのは16年の参院選である。安倍一強の下、32ある1人区で11勝を挙げたのは、一定の成果だった。「左」の法則は、山本太郎を育てたことにも当てはまる。

 ただ、前述のように、近年の小沢自身が完全に「左」に寄っているというのが大方の印象である。政策の振れ幅が大きいのは紛れもない事実だ。自民党時代の小沢を支持していた、いわば代表的な保守層ほど、今の小沢を嫌う。「左」を押さえる戦法は「政策はどうでもいいのか」「数のためなら何でもいいのか」との批判はつきまとう。それでもなお、数にこだわるのが小沢であるのも事実だ。

法則3 一兵卒

 法則1に絡むが、小沢は自ら「無役でいい」と強調する。ポストはいらない、という姿勢を示すことで剛腕のイメージをやわらげ、警戒感を解いているともいえるが、実際に「一兵卒」の時期は少なくない。