2019年1月28日、国民民主党代表の玉木雄一郎氏とともに街頭に立つ、同党の〝一兵卒〟小沢一郎氏(写真:つのだよしお/アフロ)

 ここまで4回にわたって小沢一郎の政治生活を編年体的にたどってきたが、最終回となる本稿ではその体裁を取らず、まず3つの「法則」に基づいて2000年代と2010年代の計20年間を分析してみたい。50年の政治生活の後半にあたる直近20年間は、まるで物理の法則のように同じ動きを繰り返しているからだ。その後、小選挙区制を柱とした政治改革になぜこだわってきたのかを考察し、小沢が政党で権力を保持し続けてきた理由や背景を探る。

捨て身の合流

法則1 自分の党を解散して大きい党に合流する

 2003年9月、少数野党の自由党が、野党第1党の民主党と合併した。いわゆる「民由合併」である。小沢の狙い通り、合併直後の11月の衆院選で民主党は躍進した。小沢は「自由党は解散し、存続政党は民主党」「民主党執行部もそのまま」「規約や政策は民主党のものを継承」との方針を掲げ、吸収される形で合併した。まさに捨て身だった。

 19年4月にも、小沢率いる自由党(2回目の自由党)は国民民主党と合併し、自由党は解散している。これも03年方式を踏襲している。いずれも「政権を取るため」が大義名分で、小沢は自分が作った政党の存続にはまったく興味がなく、むしろ積極的に党を解散して大きい党と一緒になるという手法を好む。「捨て身で合流」の法則は、相手側の党首が格下・後輩であっても一貫している。