たとえば、民主党に合流した後は、代表代行や副代表として処遇されたものの、党運営に深くタッチしておらず、「一兵卒」に近い。09年の政権交代後、民主党幹事長として政権を牛耳ったが、辞任後は無役のままだった。現在も国民民主党で「一兵卒」であり、肩書き上は、所属議員の1人だ。勤続50年のベテランが「一兵卒」と強調するのはわざとらしいように思えるが、小沢が「一兵卒」と自認して頭を下げる効果は絶大である。
なぜ政治改革なのか
50年のキャリアのうち、後半のハイライトが2009年の民主党による政権交代であることは論を待たない。小沢は長らく「小選挙区制になれば二大政党に近づき、政権交代が起きる」と主張してきた。実際、その通りの未来が訪れている。小泉純一郎率いる自民党が郵政民営化を問うた衆院選で圧勝したのは05年9月。約4年後、09年8月の衆院選で、今度は鳩山由紀夫率いる野党の民主党が圧勝し、政権交代が実現した。
小選挙区制導入を柱とした政治改革を小沢が本格的に提唱し始めたのは89年の自民党幹事長以降である。なぜ政治改革が必要だったか。長くなるが、端的にまとめられている小沢の自著『小沢主義』(集英社文庫)から引用する。
「初当選してからそれまで、僕は自民党の政治家として活動してきた。初当選以来、四半世紀にわたって僕は与党にいたわけで、戦後の日本政治がどうやって行われてきたかをこの目で間近に見てきた。たしかに1955年の結党以来、自民党が日本の発展に尽くしてきたことは動かしがたい事実だ(中略)。しかし、どんなことにも寿命はある。時代の流れが変わりつつあるのに、以前と同じことを続けていれば、それはやがて大きなツケとなって跳ね返ってくる」
「僕は自民党の政治手法が限界に近づいてきていることを肌身に感じて、何とか内部から改革できないかと考えるようになった。そこでまず力を入れて取り組んだのが政治改革、中でも衆議院の選挙制度改革だった」
「1選挙区から1人の代議士を出す小選挙区制度に変える。これによって、なれ合いだった政党同士の政策論争を活発化させ、最終的にはイギリスやアメリカのような二大政党制に持って行きたいというのが僕の描いたビジョンだった」
「小選挙区制を導入すれば、これまでのように同じ選挙区から自民党と社会党の政治家が選ばれるということはなくなり、国民は対立する政党のどちらかを選ぶかという選択を迫られることになる」
「権力の中枢近くにいたからこそ、『このままではいけない』という危機感を持つに至ったのだ」