もうひとつ、ヒントとなる作品がある。山崎豊子著『大地の子』だ。主人公は幾度かの危機を、中国人の養父による献身的な保護で何とか克服する。主人公は、心から養父に親孝行したいと願い、優秀な成績で学業を修め、仕事でも有能な成績を残す。

 養父は学校の先生という設定だが、特に主人公に勉強を教えるといったシーンはない。ただ、主人公が養父の信頼にこたえようと懸命に努力したに過ぎない。この養父がいなければ主人公はここまで努力しなかっただろう、と信じることができた。けれどそれがなぜなのか、うまく言語化できなかった。

『赤毛のアン』も『大地の子』も小説だ。架空の物語だ。だから本当は実例を示すべきなのだろうが、案外、実話の方が脚色が強いことも少なくないから、「きれいごと」に感じることがある。その点、小説は架空だからこそ、赤裸々に人間の暗い部分も描くことができる。人気のある、長く愛されてきた小説は、現実よりも現実をうまく切り出していることがある。この二つの小説から、さもありなん、と私が感じたのには、理由があるのだろう。指導者よりも優れた人間になる秘訣。この二つの小説にはそれが隠されているように感じられたが、うまく言語化することが当時はできなかった。

「驚く感性」こそ重要

 ある日、父から薦められてレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』を読んだ。自然界の美しい写真が並んだ写真集といったほうがよいような体裁で、掲載されている文章は、ごく短いもの。けれど、この本を読んで私は衝撃を受けた。「そうか、「出藍」の秘訣はここにあったのか!」

 その本でカーソンは、甥のロジャーと共に夜の海辺や雨の森に探検に出かけ、自然の雄たけびのすさまじさ、露に輝く美しさに心震わせる。波打ち際を共に歩き、ヒトデやカニを見つけては、二人にだけ通じるニックネームをそれらにつけ、楽しむ。そんな姿を描いている。

 その中で大変衝撃を受けたのが、次のようなくだり。カーソンは、生物の名前を覚えることは重要ではない、それよりも、自然の不思議さ、生命の神秘さに目を瞠り、驚く感性(センス・オブ・ワンダー)こそが重要だと指摘した。

 私はそのくだりを読んで、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。それまで私は塾で、いかに子どもたちに物事の名前や年号を覚えさせるかに腐心してきた。ところがカーソンは、そういうことは重要ではないという。それよりも、共に自然や生命の美しさ、神秘さに共に驚き、楽しむことが重要なのだという。

*写真はイメージです