楽しいと思えたこと、それがすべて
大学で野球をすると決めても、プロになりたいなんてことは毛頭考えなかった。そのまま教員免許を取って、体育の先生になること。これが描いていた当時の僕の未来である。
それでも簡単にはいかなかった。まさかの受験失敗。浪人生活へと入る。家計を圧迫したくないと思い、バイトをしながら予備校の受講料を稼ぎ、あいまに勉強とトレーニング。
走り込みが嫌だ、という理由でピッチャーを回避していた僕が、わざわざ浪人をしてまで野球をしたいと思う。深夜に交通整理のアルバイトをして、朝には予備校に通って、独学でトレーニングもして・・・高校時代には想像できない自分の姿だ。
はたから見ればしんどい時期だが(いや、実際そのときは苦しかったけれど)、それでもこうした日々を続けられたのは、「楽しい」と思えた、たった6イニングだけの「経験」があったからだった。
踏み出す、行動に移すための勇気というのは、意外とシンプルなものだと思う。
楽しい、やってみたい、と思えるものにできるかどうか。
そう思うことができれば、探求心がどんどん湧いてくる。
その後、大阪体育大学に入学すると、本当に野球が楽しくて仕方なかった。バッターを抑えることができるようになると、もっとうまくなりたいという欲が湧いてくる。
野球が強い大学ではないから専用のグラウンドも、コーチもいない。だからとにかく周りの選手と協力をしながら、どうやったらうまくなるのか、自分の体を使って勉強していった。各々が、プロのキャンプを見に行き、社会人の練習に参加し、そこで得たものをチームに持ち寄っていく。全員で経験を共有することでレベルを上げていった。
トレーナーの勉強をしていた塚本さんの存在は大きくて、いろいろなメニューを考えてくれた。僕も塚本さんも、とにかく手を抜かず勉強、トレーニングをした。塚本さんが持ってきてくれた練習法を僕で試してもらう。僕が持つもっとこうなりたい、という目標に対して塚本さんがその練習法を探し、考えてきてくれる。
振り返って大事だと思うのは、そのときお互いが一切、妥協をしなかった、その姿勢だ。怖い監督も、コーチもいないから、やらされるという環境はない。だからこそ、自立して取り組まなければいけない。それも高校時代にあったような強制的な上下関係がない中(それが僕に合っていた)で、楽しさを持って過ごせたことが大きかった。
シンプルだけど、この「楽しさ」こそ、一歩を踏み出すための大きなモチベーションになることは間違いない。
(『OVER 結果と向き合う勇気』上原浩治・著より再構成)