たとえば、1689年に政治算術家のグレゴリー・キングによって書かれた統計には、下の表のような貿易の内容が記録されています。

【1688年の国民の貨幣の増大ないし輸入された十分な財宝】
貨幣ないし十分な財宝の総輸入額    1,250,000ポンド
貨幣ないし十分な財宝の総輸出額     550,000ポンド
貨幣ないし十分な財宝          700,000ポンド
       (中略)
商品の総輸入額            5,870,000ポンド
再輸出を引いた額           1,280,000ポンド
商品の輸入額             4,590,000ポンド
(出典:John A. Taylor, British Empiricism and Early Political Economy: Gregory King’s 1696 Estimates of National Wealth of Population, Westport, 2005, p.116.)

 ここからも、政治算術家は貿易の実態を把握し、国家を解剖しようとした意図が読み取れると思います。ただし、この時点においても高度な数学が使われていたわけではありません。大数の法則が発見されるのも、もう少し後のことです。

 この時代には、大数の法則が必要とされるほどに取引量が増えていたわけではないのです。まだ、経験主義的な数値の処理で十分だったのです。

海上保険の発展とイギリス

 近代的な保険が花開くのは19世紀のイギリスでした。それは、2つの歴史が交錯することで発生したことでした。

 1つは保険市場です。

 1688年頃のロンドンで、エドワード・ロイドという人物がテムズ河畔の船着き場近く、タワー・ストリートにコーヒーハウスを開店しました。ちょうど17世紀は、貿易の中心がイタリアからオランダやイギリスに変わっていった時代です。ロイドの店も、貿易商や船員たちで賑わうようになりました。そこでロイドは常連客のために最新の海事ニュースを発行するサービスまで始めます。するとますますこのコーヒーハウスは繁盛するようになったのです。

 連日大賑わいの店が手狭になってくると、ロイドは1691年にコーヒーハウスをロンバード・ストリートの中央郵便局の隣に移転します。すると今度は、アンダーライター(保険引受業者)までもが店に集まるようになります。

 この頃のロンドンの港は、貿易で活況を呈していました。海上保険の需要もますます高まっていたのです。それを生業にする人々が集まる店が、一つの保険市場の役割を果たすようになるのは自然の成り行きでした。そのうちに、この店を拠点に活動する保険業者は、「アンダーライター・オブ・ロイズ・コーヒーハウス」として知られるようになります。