紀元前の昔から、いつの時代にも影響力をふるい続けてきた占星術。科学なのか、それとも魔術なのか。近代科学が発達した現代でもなお人々を魅了してやまない占星術の役割と位置づけを、科学史家である中山茂氏が明らかにする。(JBpress)
(※)本稿は『西洋占星術史』(中山茂著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。
カルデアの知恵
ヘロドトスの『歴史』やストラボンの『地理誌』のようなギリシャ・ローマの古典や、旧約聖書では、カルデア人という東方の賢人が、ギリシャ・ローマの文化のなかに、占星術や天文学の天の知識を伝えたとしている。
これが西洋文明のなかで「カルデアの知恵」とよばれ、伝説化して伝えられてきた。カルデア人とは、紀元前7世紀に最後のバビロニア帝国をたてた種族である。彼らはバビロニア文化の後継者をもってみずからを任じていた。
かつて西洋では、バビロニア文化についての知識は、ギリシャ語やラテン語で書かれた古典や、旧約聖書に記された断片的な知識にのみよっていた。
バビロニアにも、乾燥地帯で粘土を乾かしてその上に楔で傷をつけて書く、独特の楔形文字はながく忘れられていて、誰も読めなかった。
ところが、19世紀からその楔形文字の解読が進むにつれて、未知の新事実が続々あらわれ、研究者を興奮させた。
バビロニア占星術についても、伝説としてはギリシャ・ローマ文化のなかで伝えられてきたが、実際に楔形文字を記した粘土板原典に照らして近代的な研究がはじまったのは、やはり19世紀のことである。
『バビロニアの占星術と旧約聖書との関係』を1929年に書いたチャールズ・V・マクレーンによれば、こうした近代的研究が誕生したのは、1853年3月7日のことだという。その日にアイルランド人のオリエント学者エドワード・ヒンクスが、バビロニアの暦の月の名をふくむ粘土板を見つけた。
そして1876年にはさらに、同種の何枚かの粘土板が日の目を見るにいたった。こうして、バビロニア占星術の研究が可能になった。