田舎の庭で聞いた「神の声」に導かれ、国を救いながらも、宗教的異端者として火刑に処され、見事に聖女として復権したジャンヌ・ダルク。その生きざまに、比較文化史家・バロック音楽奏者である竹下節子氏がせまる。(JBpress)
(※)本稿は『ジャンヌ・ダルク』(竹下節子著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。
ジャンヌ・ダルクが聞いた「神の声」
中世の終わりには多くの傭兵たちが、敵味方の領土を問わず略奪虐殺を統けることもあった。そういう時代に、ひとつの小さな村で、ひとりの無名の「羊飼いの少女」が突然、「フランスを救え、パリを追われて亡命中のフランス王太子を戴冠させよ」という「神の声」を聞いた。この少女が王と神の名において、軍事上の要地オルレアンをイギリス軍から守った。
ジャンヌ・ダルクである。彼女は歴史に突然登場して、あっというまにその生涯の頂点を極め、しかし、まもなく宿敵のイギリス軍の手に落ちて火刑に処された。しかも「戦犯」としてではなく、異端の魔力という宗教的な罪によって裁かれたのだ。
それは、当時のヨーロッパに群雄が割拠していたとはいえ、建前上はたった1人の「神」を戴いていたために、「国」の正義がひたすら「神」との関係に拠って立っていたからである。
ジャンヌ・ダルクは、処刑された1431年に「7年以内にイギリスはもっともほしいものを失うでしょう」と予言した。
1437年に最後のイギリス軍がパリを捨てた。ジャンヌ・ダルクによって、フランスは封建貴族だけでなく全フランス人にとってのフランスとなった。パリも真にフランスの首都として意識された。