いまだ、混迷のさなかにあるブレグジット。
EU単一市場という経済的理由から最大の焦点の一つともなっているアイルランド共和国との国境について、これまで3回にわたり、歴史的・政治的観点からみてきた。
1回目は、長く英国支配にさらされてきたアイルランド島に国境線が引かれた歴史的経緯をたどりながら、いまも「北アイルランド紛争(英語では「The Troubles」)」の傷に苦しむ人々がいることについて考えた。
そして、ひとつのアイルランドを望む「ナショナリスト」「リパブリカン」と英国の一部であろうとする「ユニオニスト」「ロイヤリスト」との根深い対立、その源たるカトリックとプロテスタントという宗教、「Irish」「British」というアイデンティティ、さらには移民国家米国の「Irish American」について考えた。
そんななか、先進国・英国の一部、北アイルランドで、カトリック差別への抗議として1960年代に始まった公民権運動への血の弾圧が、泥沼の紛争へと発展していく様子を追ったのが第2回。
英国が直接統治に踏み切る一方、権力分有の試み「Sunningdale Agreement」が不調に終わり、対立が深刻化。
「リパブリカン」がIRA暫定派(以後断りがなければIRAと記述)の武装闘争とともに、強硬姿勢を崩さぬマーガレット・サッチャー政権への服役囚のハンガーストライキによる抗議などを経て、シン・フェイン党の政治的アプローチへと重心を移していく様をみた。
そして、IRA、UVF、UDAなどカトリック、プロテスタント双方の「Paramilitary(準軍事組織)」の暴力にさらされるなか、草の根の人々、NGO、ミュージシャンなど、それぞれの立場から平和へのアプローチを試みる姿を追った前回。
Irish Americanのロビー活動もあり、自身Irishの血が流れるロナルド・レーガン米国大統領のマーガレット・サッチャー首相への言葉も功を奏し、和平への新たなる試み「Anglo-Irish Agreement」へと進んでいくところで第3回を終えた。
1985年10月、そのAnglo-Irish Agreementで、サッチャー首相とアイルランド共和国のギャレット・フィッツジェラルド首相は、北アイルランドの立場は住民の多数の同意がない限り不変であることを確認したうえで、「アイルランド」の政治的、治安的、法的問題を扱うための政府間協議を設けることに同意した。
英国下院(庶民院)では保守党も労働党も多数が支持した。
一方、北アイルランドでは、ナショナリスト系政党社会民主労働党(SDLP)と中道政党同盟党(APNI)だけが支持。
SDLPは、「The Troubles」当初の公民権運動にもかかわり、1980年代初めからIrish Americanに働きかけるなど積極的に問題に取り組んできた党創設メンバーの一人、ジョン・ヒューム氏が党首を務めていた。
ユニオニストにとっては、アイルランド共和国に発言権が与えられたことは内政干渉でしかなく、その最大政党アルスター統一党(UUP)、強硬派の民主統一党(DUP)などが猛反発。
そして始まった「Ulster Say No」をスローガンとする抗議キャンペーンの中心にはDUPのイアン・ペイズリー党首がいた。