(篠原 信:農業研究者)
私が高校生の頃、ジュースのおまけに、5cmほどの小さなことわざ事典がついていた。私は、あいうえお順に、それを読んでいくのが楽しみだった。
「一斑を見て全豹を卜す(一斑全豹、いっぱんをみてぜんぴょうをぼくす)」ということわざがある。黒い斑点の断片だけを見て、「ヒョウは全身が黒い生き物である」と断定してはおかしなことになる。小さな事実だけを見て判断することの愚かさを戒めた言葉だ。ふんふん。
「箕子(きし)の憂い」という言葉がある。昔、殷(商)の紂王(ちゅうおう)という、それはそれは悪逆非道で有名な王様がいた。しかし若いころはなかなか賢い王様として、評判がよかった。そんな若い紂王がある日、象牙のお箸を使い出した。それを見た箕子という大臣が、恐れおののいた。
「象牙のお箸の何がそんなに怖いのですか?」と周囲に尋ねられると、大臣は次のように答えた。「象牙のお箸を使うようになれば、料理も豪勢にしたくなる。食器も贅沢なものに変えたくなる。部屋の調度類も豪華なものにしたくなる。すると屋敷も、庭園も、と際限がなくなり、国力のすべてを費やしても、王様を満足させることはできなくなる。国が滅ぶ兆候として、私は恐れるのだ」と言ったという。
大臣が心配したとおり、やがて王様はその後、「酒池肉林」という、ちょっとエッチなおじさんならみんな知っている言葉の由来となるフェスティバルを開催する。広大な庭園にお酒を満たした池を造り、木に肉を吊り下げた林を造った。その贅沢をまかなうために国民は重税にあえぎ、やがて殷の国は滅んだ、というエピソードだ。
矛盾する2つのことわざ
私は「あれ?」と考え込んだ。
「一斑全豹」では、「わずかな証拠で断定するな!」と叱られている風だし、「箕子の憂い」では逆に「わずかな証拠からよくそこまで予見できたものだ」と、まるで「おしりたんてい」のような見事な推理を賞賛されている。矛盾。明らかに矛盾しているように見える。いったい、この矛盾した2つのことわざから、何を学び取ればよいのだろう?
もしかしたら結果論? 「一斑全豹」では、黒い斑点だけをみて、ヒョウは真っ黒なのだと誤った判断をしたから、「愚かだ!」と批判され、「箕子の憂い」では、見事に予想が当たったから「なんて賢い!」と評価されただけ? 後からなら何とでも言える、ということなのだろうか? 箕子も予想が外れていたら、「一斑全豹」と同じで批判されていたのだろうか?