3月11日は日本にとって特別な日である。8年前、未曾有の震災がもたらした惨禍は、いまだにその爪痕を残す。
あの日、あの場所で震災を背負わされた球児たちがいた。彼らは葛藤の末に、「背負う覚悟」を決めたのである――。
聖光学院野球部。
強豪校の長きにわたる低迷と現在までを描いた『負けてみろ。聖光学院と斎藤智也の高校野球』を上梓したスポーツジャーナリスト・田口元義による、2011年聖光学院の夏。
斎藤智也が投げかける魔法の言葉
「負けてみろ」
これは、聖光学院の斎藤智也監督がミーティングで用いる檄である。
「良い事も悪い事も受け入れて成長の糧とし、揺るぎない心を養う」という『不動心』。そして、一隅を照らす者を宝とし、全員が光を灯す存在であろうと説く『一燈照隅』。聖光学院の部訓を軽んじ、チームの士気が一向に高まらなければ、斎藤は時に激しく「お前らなんて勝たせねぇ!」「負けてみろよ!」と選手たちを煽る。
「そうそう。そうなんです! 僕らの代でも言われていました。今も言ってるんですね」
12年連続甲子園出場という偉業を継続中である聖光学院が初めて甲子園に出場した2001年夏、チームの4番打者を務めた塙裕之が目を丸くしながら懐かしむ。
「『負けろ』ってネガティブな言葉じゃないですか。でも、監督さんにそう言われると不思議と納得させられるんですよ。『自分たちが甘かったんだ。やべぇな』って、足元を見つめ直させてくれるんです」
斎藤が選手たちに投げかける「負けてみろ」は、いわば魔法の言葉だ。塙が回想していたように、このたったひと言でチームは原点に立ち返り、勝利への飢えをより強める。
昨年のチームもそうだった。
春のセンバツ2回戦で東海大相模に3-12と大敗したショックを引きずり、5月の県大会が入ってからもモチベーションが高まらないチームに、斎藤は「潔く負けてみろ」と、選手たちの心を解放させた。その魔法によって聖光学院は蘇り、春季大会では福島だけでなく東北も制し、夏は甲子園の切符を掴んだ。
当時の主将、矢吹栄希はこう言っていた。
「みなさんから『最強』とか『王者』とか言っていただいて、そこで自分たちが勘違いしてしまったとこともあって。『負けたくない』って怖さがあったんで、パッとしないというか、ダサい野球しかできていませんでした。でも、監督さんからそう言っていただいて、勝っても負けても散り際がいいというか、泥臭くやって、みなさんから認めていただくような野球をするのが聖光学院じゃないか・・・っていうことに気づかされました」