2011年、意味合いの違った「負けてみろ」
斎藤は「負けてみろ」とチームを鼓舞することはあっても、「勝て」とは滅多に言わない。指揮官がいくら手応えを掴んでいた年であっても、「やっと仕上がった」と表現を変えて選手たちの背中を押す。
そんな斎藤が、「勝て」と明言した年がある。2011年の夏だ。いまだ日本中の記憶に色濃く残る、東日本大震災が起きた年である。
斎藤はこの時のチームを「本気で背負えていた」と、今でも選手たちを称えている。
「あの年は震災経験して、苦労されている被災者も目の当たりにした。家族が被災した生徒もいたけど、実際には野球ができた。だから本当の意味で背負えていないのかもしれないけど、あいつらなりに究極に迫ろうとしたのは間違いないんだ」
3月11日の大震災、それに伴い発生した福島第一原発事故の影響によって、3日後の14日、聖光学院野球部は一時解散を余儀なくされた。寮生は実家に帰省させ、地元の野球部員は被災者が大勢避難する体育館に出向き、救援物資の運搬に尽力した。4月に入りボランティアが一段落した頃に寮生たちが戻ってきたが、今度は聖光学院のグラウンドで予定されていた練習試合が全てキャンセルされるなど、実戦不足に悩まされた。
事態を考えれば、高校生の選手たちが悲観的にならないはずがない。そこで指導者が「大丈夫だ」と同情したところで、その声は不安ばかりが募るチームの負のオーラにかき消されるだけだ。
だから斎藤は、被災してしばらく、ミーティングでは連日のように選手たちの心をえぐった。「負けてみろ」と言い続けた。
「今年の福島県の代表は、『東北の代表』と同じ重みがある。聖光学院の野球を観た方たちが、選手のひたむきな姿勢に共感してくれるようなチームが甲子園に出るべきだ。それができないようならみなさんを失望させるだけだから、絶対に甲子園には出るべきじゃないし、俺が行かせない!」
この年の「負けてみろ」は、それまでの意味合いとは異なる。斎藤の深謀はこうだ。