王位継承権者に復活してからも困難に直面しました。

 最大の危機は、カトリックのメアリ1世が女王になり、彼女とスペインの王子フェリペとの結婚に反対する暴動が起こったときでしょう。この暴動鎮圧後、エリザベスは反乱に加担した疑いで、ロンドン塔に収監されてしまいます。当時、ロンドン塔は監獄・処刑場の機能も持っていました。エリザベスもいつ首をはねられてもおかしくなかったのです。ましてやカトリックであるメアリ1世にとって、新教徒のエリザベスは、好ましからざる存在だったので、エリザベスはまさに身の凍る思いを経験したはずです。

 その後、証拠不十分としてロンドン塔から解放されたエリザベスでしたが、監視付きの幽閉生活を強いられるのでした。

 さてメアリ1世の死により25歳で女王となったエリザベス1世は、即位の翌年、1559年に国王至上法を復活させ、イングランド国教会を再度カトリックから切り離します。さらに統一法を制定し、一般祈祷書を用いた儀式の統一を行い、新教の浸透を図りました。

 こうした動きに対して、カトリック側も巻き返しを狙ってきました。1570年、ローマ教皇はエリザベス1世を破門にしてしまいます。また、イングランドやスペインのカトリック諸侯たちによる反乱も計画されていました。この計画には、エリザベス1世の従妹で、スコットランド前女王メアリー・スチュワートも絡んでいました。彼女はイングランドの王位継承権を主張しており、従妹ながら、エリザベス1世にとっては政敵でもありました。

 この反乱計画は事前に漏れ、反乱は防がれましたが、エリザベス1世は、その王位を狙う者と常に戦わねばならなかったのです。

弱小国イングランドと大国スペイン

 敵は海の向こう側からもやってきました。当時のイングランドはフランスとスペインという大国に挟まれた弱小国家です。ただこのころのフランス国内は、カトリックとプロテスタントが争うユグノー戦争で混乱し、イングランドを脅かす余裕はありませんでした。

 しかしスペインは違いました。アメリカ大陸、フィリピン、インド、アフリカ大陸などに領土を持ち、「太陽の沈まぬ国」となった強国でした。またレコンキスタによって、ムスリムに支配されていた国土を回復したスペインは、ローマ・カトリックに改宗しない異教徒を厳しく弾圧するなど、極めて純粋なカトリック国家です。そのスペインにとって、カトリックから離脱したイングランドは許せぬ存在でした。

 さらにスペインが許せなかったのは、フランシス・ドレークらイングランドの海賊の存在でした。彼らは、新大陸から金銀を積んで帰ってくるスペイン船に海賊行為を働きましたが、ドレークらはエリザベス1世から海賊行為を認める特許状をもらっていました。つまり女王公認の海賊だったのです。

 それらの理由から、スペイン国王フェリペ2世は、当時世界最強と言われた「無敵艦隊」をイングランドに差し向けます。1588年のことです。