スペインの強大な海軍力を相手に、弱小国イングランドが勝てる見込みは非常に小さなものでした。艦船の数も全く違います。イングランドにとってはおそらく史上最大の危機でした。そして、もし敗れるようなことになれば、スペインにとっては「異端宗教」のトップであるエリザベス1世は処刑されても不思議ではなかったのです。
奇襲「火船攻撃」
しかしこの海戦で勝利を収めたのはイングランドでした。艦隊の副司令官に引き立てられたドレークらによる奇襲が功を奏したのです。カレー沖の海上でスペイン軍とにらみ合ったイングランド軍は、深夜、強風が吹く中、風下に位置するスペイン軍に向けて火をつけた大型船8隻を放ったのです。
巨大な火船に急襲され、スペイン軍は大混乱に陥りました。そこにイングランド軍の砲撃も加わり、世界に名高い無敵艦隊は多数の犠牲を出しながら敗走するしかありませんでした。
辺境の二流国が、超大国に勝利したこの結果は、ヨーロッパ中に衝撃を与えました。その後もイングランドとスペインの戦いは続きましたが、スペインの国勢はこのころから徐々に低下していくのでした。
そして肝心のイングランドでは、エリザベス1世の治世が45年も続き、その間、1600年に東インド会社を設立し、海外発展のきっかけを作るなど、後の飛躍の基礎を形作ったのでした。
通貨改鋳が原因で毛織物輸出に大ブレーキ
さて、テューダー朝は、エリザベス1世が亡くなり、スコットランド王ジェームズ6世が、ジェームズ1世としてイングランド王になる1603年まで続きました。テューダー朝118年の間、イングランドの経済は、実はあまり進展しませんでした。もちろんエリザベス1世の時代においても同様です。
中世のイングランドの主要産業は、羊毛の輸出でした。それが15世紀初頭から中葉にかけると、未完成の毛織物の輸出がメインになります。経済学的にいえば、第一次産品の輸出国から中間財の輸出国へと変貌していたわけです。