地域のつながりの崩壊は、何をもたらすのだろうか。

(篠原 信:農業研究者)

 地域社会が、崩壊の極に達しようとしている。最後に残っていた地域社会の「残滓」まで、崩壊しようとしている。残滓とは、自治会、PTA、子ども会。

 報道では、自治会の負担に耐えかねて脱会を申し出ると、ゴミの集積所にゴミを捨てるのを許されなくなったなど、村八分にされたという話。同じことがPTAや子ども会でも起きており、役員の負担に耐えかねて脱会すると、子どもが通学班に入れてもらえないという仲間外れの扱いを受けたという。

 私は、どちらの側にも同情せずにいられない。自治会やPTA、子ども会を機能させるには、どうしても持ち回りで役員を引き受けざるを得ない。もしそうした組織がなくなると・・・ということは、後述したいが、地域が機能不全になり、結局、地域全体が損をすることになる。

 他方、自治会やPTA、子ども会の役員は負担が多すぎてとても引き受けられない、という悲鳴も、決して身勝手だとは言えない。本当に無理なのだ。仕事で忙しく、とても役員を引き受ける余裕がない。誰かもう少し、余裕のある人にお願いできないだろうか・・・そう思うのは、自然なことだ。

 では、地域に余裕のある人がいるかというと・・・いない。誰もが、余裕のないギリギリの中で、自治会、PTA、子ども会といった、地域社会に最後に残された「残滓」を必死になって維持してきた。だが、特に都会では、その維持が大変難しくなってきている。

精神的に追い詰められる母親

 どうしたわけか、まだ調査もされていないようだが、現在の母親たちが次の強い不安を持っていることを、みなさんはご存知だろうか。

「あんまり子どもが泣き続けると、虐待じゃないかと疑われ、児童相談所に通報され、子どもが連れて行かれるのでは」

 赤ちゃんや幼いお子さんを抱えている母親に、尋ねてみられるとよい。ほとんどがそうした不安を覚えたことがあり、「早く泣き止ませなくちゃ!」と必死になる。それが、母親たちから精神的な余裕を奪ってしまう。「泣き止ませなきゃ!」という強迫観念があるから、泣くとすぐに家事の手を止めてあやす。すると家事がどんどん溜まり、それをこなせない自分に自己嫌悪し、それがさらに精神的余裕を奪い・・・という悪循環を招く母親が多い。