熊本県水俣市の、湯の児温泉の海岸。

 1950年代に表面化し、その後、世界的にも知られる公害に発展した熊本県・水俣市の水俣病。被害が拡大した背景には、企業の稚拙な対応、そして歯止めをかけようとしない国の不作為があった。

前回の記事:「水俣病の被害拡大はなぜ止められなかったか」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54649)

「要因は、それだけではありません。水俣市が置かれた環境も、被害拡大に関係していたと考えられます。当時、水俣市は企業城下町のような状況であり、その中心企業こそが加害者のチッソでした。市民が企業責任を追及するのは簡単ではなかったでしょう。この点も、水俣病の事例から学ぶべき部分です」

 そのように話すのは、國學院大學法学部の廣瀬美佳(ひろせ・みか)教授。水俣病の事例から学ぶべき「地域の環境」とは何なのか。前回に引き続き、経緯をたどりながら真意に迫る。

國學院大學法学部教授の廣瀬美佳(ひろせ・みか)氏。早稲田大学法学部卒業。國學院大學法科大学院教授を経て、同大學法学部教授。近年は過払金問題や医療における代諾の問題を中心に研究を進めている。主な業績には、「医療における代諾の観点からみた成年後見制度」(田山輝明編著『成年後見人の医療代諾権と法定代理権』三省堂)の執筆のほか、渡良瀬川沿岸鉱毒農作物被害事件の公害等調整委員会昭和49年5月11日調停や熊本水俣病に係る障害補償費不支給決定取消等請求事件の最高裁平成29年9月8日判決の評釈などを担当。

責任を認めないまま、終息を狙った「見舞金契約」とは

――前回、水俣病が発生しながらも、加害者であるチッソ(当時の日本窒素肥料、のちに新日本窒素肥料に社名変更)が発生源対策を行わない、むしろ発生源であることを認めない状況まで伺いました。そして、国も歯止めをかけられませんでしたね。