大阪桐蔭高校吹奏楽部が東京で行ったキャンディコンサート。中央が梅田先生(筆者撮影)

 全国の11支部を突破した吹奏楽部30校が集う「第66回全日本吹奏楽コンクール」が10月21日に終わった。参加する高校生たちは「吹奏楽の甲子園大会」ともいえるこのコンクールを目指し日々研鑽を積む。その取り組みはもしかすると高校野球以上かもしれない・・・。

 たとえば、高校野球で全国制覇を遂げた大阪桐蔭高校。甲子園のアルプススタンドで注目を集め、コンクールでは銀賞を受賞した吹奏楽部は、率いる梅田先生を中心にとんでもないミッションに挑んでいた。高校吹奏楽部の知られざる活躍に吹奏楽作家のオザワ部長が迫る。

始まりは薩摩藩!? 意外な吹奏楽の歴史

 皆さんは「吹奏楽」というと何を想像するだろうか? まず浮かんでくるのは中学や高校のころに同級生が入っていた吹奏楽部。加えて、甲子園の応援、といったところか。

 実は、吹奏楽というものは非常に奥が深い音楽である。

 その起源はトルコの軍楽隊にあるとされる。オスマントルコの軍隊が16〜17世紀にウィーンを包囲した際、軍隊の士気を高め、敵を威圧するその軍楽隊の音がヨーロッパに脅威を与え、以後、ヨーロッパ諸国でトルコに倣った軍楽隊が組織されるようになった。それがやがて、ヨーロッパにもともとあった管楽器主体の音楽とも融合し、コンサートでも演奏される吹奏楽へと発展していった。

 吹奏楽が日本に「渡来」したのは、幕末の1853年。皆さんご存じの「黒船」である。アメリカ海軍のペリー提督は軍楽隊を率いて神奈川・浦賀沖に来航。船上や上陸した久里浜で軍楽隊が演奏した記録が残されている。ちなみに、演奏した曲は《ヤンキー・ドゥードル(アルプス一万尺)》などだったという。日本の音楽とはまったく違うパワフルでリズミカルな吹奏楽の演奏に、さぞかし江戸時代の人々はびっくり仰天したことだろう。

 その10年後の1863年には薩英戦争が勃発。この戦いで薩摩藩は、イギリス軍が随伴していた軍楽隊の持つ力をまざまざと見せつけられた。また、1867年に江戸幕府が倒れて明治時代が始まると、各藩は西洋式の軍隊の整備が必要となり、薩摩藩は30人ほどの「薩摩藩洋楽伝習生」を横浜に送り、イギリス軍の軍楽隊長であるジョン・ウィリアム・フェントンに管楽器・打楽器の演奏を習わせた。これによって誕生したのが、日本初の吹奏楽団、いわゆる「サツマバンド」である。