官僚の不祥事が相次ぎ、バッシングが燃え盛っている。しかし、政策を実働部隊として実現させ、日本の政治を支えているのは紛れもなく官僚だ。官僚が国民の信用を得るためには一体何が必要なのか。かつて建設省/国土交通省で大型ダムの建設に携わった竹村公太郎氏(日本水フォーラム代表理事)が、現役の行政官に伝えておきたい自らの体験を綴る。(後編/全2回、JBpress)
最後の建設現場、宮ヶ瀬ダム
昭和60(1985)年、39歳の私は宮ヶ瀬ダムの所長に就任した。ダム水没に関する補償は、ほぼ終了していた。私の役目は、ダム水没者たちの生活再建とダム本体設計と本体施工計画の立案であった。
その中で最大の課題が、水没者たちのダム周辺移転地での生活再建だった。特に、かつて水没地内で観光業をしていた方々が、ダム湖周辺の代替地へ移転して、本当に観光業を継続できるか、という課題であった。
当時、「ダムで栄えた町はない」という強烈なダム反対のスローガンが、マスメディア間で流布されていた。昔のダム建設では、確かにそのようなことがあった。しかし、宮ヶ瀬ダムでは絶対にそれは許されない。水没者は移転地で、観光業で栄えるようにします、と宮ヶ瀬ダム事務所の先輩たちは、生活再建を約束し続けてきた。
水没者の生活再建とダム周辺地域の繁栄は、川治ダムから始まり大川ダムを経験した私自身のダム人生の課題でもあった。
宮ヶ瀬ダムの所長に赴任した時期、宮ヶ瀬ダムの本体設計と本体施工計画は白紙だった。これは私にとって幸運であった。