書店で働いていると、こういう問い合わせをよく受ける。特に、話題の文芸書(小説の単行本)が発売された時に多いのだが、「まだ文庫になっていないの?」というものだ。
書店・出版関係の人間であれば、文庫化までの期間はなんとなくイメージできる。もちろん長短あるが、概ね単行本が発売されてから3年後というのが目安だ。しかし、もちろんお客さんはそんなことを知らない。だから、「文庫が出ていないのか?」と問い合わせをすることは、お客さんの側としては正しい行動だと僕も思っている。とは言え、やはり書店員の立場としては、(いやー、しばらく文庫にはならねぇっす)とも思ってしまう。
なぜ穏やかな終戦を迎えられたのか
今回は、この文庫化問題を取り上げたいと思うのだが、その前に、まずは松岡圭祐の『八月十五日に吹く風』(講談社文庫)の内容について触れていきたいと思う。
僕は元々理系の人間であり、歴史の授業は大嫌いだった。だから、近代史も含め、歴史に興味を持ったことがほとんどないし、きちんと学んだこともない。大人になって、あぁやっぱり歴史の勉強はちゃんとやっておけば良かったなぁ、と後悔する機会はたびたびあるのだが、日々の仕事や日常などに追われ、歴史というものに向き合う時間はなかなか取れない。
そんな僕なので、本書を読んで、なるほど確かにその通りだなと初めて感じた疑問があった。それが、「日本はなぜ穏やかな終戦を迎えることができたのか?」というものだ。もしかしたら普通は学校で習うことなのかもしれないが、少なくとも僕は、人生でその疑問に触れたことも、考えたこともなかった。
イラク戦争など近代の戦争も含め、歴史を振り返ってみればたいてい、戦勝国は敗戦国を苛烈に扱うことが多い。略奪や暴力、破壊行為、強制労働など、終戦後の敗戦国が悲惨な状況に置かれたケースはさまざまに挙げることができるだろう。しかし、第二次世界大戦において日本は、そういう苛烈な扱いを受けることがなかった。もちろん、政治的圧力と言った形では、現在まで残る禍根はあるのだろうが、一般市民が手ひどく扱われるというような形の扱いは、他の事例と比べて少なかっただろうと思う。
これは実に不思議なことだ。それは、過去の戦争と比較しての話だけではない。日本は、終戦の直前に原爆を投下されているのだ。原爆投下に関しては、「それによって戦争終結が早まったのだ」という解釈もあり、アメリカなどでは「結果的には良い行為だった」と捉えている人もいるようだ。しかし、日本人としてはやはりその解釈は受け入れ難い。素直に考えれば、終戦の直前であっても、日本という国に対する悪感情や憎悪があったことが原爆投下に繋がったのだ、となるだろう。