利幅の少ない書店業界にとって、万引きは死活問題。一冊の書籍が盗まれると、その利益をカバーするために、その倍以上の書籍を販売しなければいけません。そのため、防犯カメラはもちろんのこと、ミラーの設置、人員の配置、死角を作らないレイアウト、そして商品にICタグを付けたりと、あらゆる手段を使って、万引き対策をしています。
ただでさえ、景気が悪い書店業界においては、それらにかかる費用だけでも大きな負担。しかも、この数々の対策が功を奏して、万引き犯を捕えたとしても、さらなる負担がのしかかるのですから、まったく笑えません。
お巡りさんを交えての店内での現場検証から、盗まれた商品の確認、防犯カメラのチェック・・・。その後の事務作業に時間が奪われ、精神的にも肉体的にも消耗してしまいます。
いちばんやっかいなのが、調書の作成。万引きがあった時間から、場所、また盗まれた商品のタイトルから値段に加え、万引きに気づいた時のスタッフの対応など、細かい状況を一言一句正しく記さなければなりません。
そのために、何度も最寄りの交番に足を運び、さらに修正があれば印鑑持参で出向くことに。書店側にとっては、万引きされた書籍の全てが戻ってくるわけでもなく、新たな利益が生れるわけでもない、単なる事実確認の不毛なこの作業。
とはいえ、事件があればその関連事項を瑕疵なく文書に残しておくことは、当然ながら必要不可欠なこと。そしてその積み重ねが、警察という組織に対する確固たる信用にも繋がっていることは、誰が見ても明らかです。
公文書問題の背景に鋭く迫る
たかが文書、されど文書。
このような文書主義は警察に限らず、公的機関すべての屋台骨のはずです。ところが、森友学園に加計学園、そしてイラクや南スーダンにおける自衛隊の日報問題。これでもか、というほどに、今日、公文書を巡る問題が次々と噴出しているのは何故でしょうか。