リーダーシップ偏重に疲弊感も

 しかし米国では、こうしたリーダーシップ偏重の傾向に一種の疲弊感が高まってきています。

 スーザン・ケインはニューヨークタイムスの最近の記事「Not Leadership Material ? Good. The World Needs Followers.」(リーダーの器じゃない? 結構。世界はフォロワーを欲している)の中でこんな例を挙げています。

 ある女性は、熱心に本を読んだりチェロを弾いたりして楽しい子供時代を過ごしましたが、高校生になると急に大学進学が視界の中にはいってきて風景が一変したそうです。

「・・・そして全ての活動が『リーダーシップ』に捧げられるようになりました。」

「誰でも知っていることですが、大学進学の際の推薦状や奨学金を得るうえで大事になるのは、賢い人でも、クリエィティブな人でも、思慮深い人でも、あるいはまっとうな人ですらなく、リーダーかどうかということだけです」

 この女性は、大学進学のためのネタ作りのために自己改造に取り組み、1年生に対するメンター役を買って出てメンターとなりました。ところが、もともと外交的な性格ではなく、その役目を降ろされてしまいました。

 結局、もともと科学が好きだった彼女は放課後に科学研究に没頭し、学術論文をものにすることで希望する大学の奨学金を得ることができたそうです。