「恵方巻」を巡って、近年は議論が巻き起こっているようです。
兵庫県内のスーパーマーケット、ヤマダストアーが恵方巻の大量廃棄は「もうやめにしよう」との意見広告を出し、話題になっています。
「スーパーマーケットは完売よりも多く品揃えするのが普通のこと。原価から考えて、余剰分は捨てればよい。ともかく売り上げ至上主義でいいのか?」という小売現場からの率直な声をくんでのことのようです。
実にまっとうな話だと思います。
毎年、コンビニエンスストアなどの店頭には、節分の夕方になっても大量の恵方巻が売れ残り、ここぞと当て込んだ高めの価格が棒引き状態となっても山のように賞味期限切れが発生。
それどころか、食品工場で余分に仕入れた具材がさばききれず、そのまま産廃工場に直行といったケースも少なくない。
こうした現実が報道されるようになり、近年「恵方巻商法」に対しては、社会の厳しい視線が向けられるようになりました。
現在40代以上の人なら、こんな「風習」は子供の頃、日本全国におよそ存在しなかったのをご存知でしょう。いつのまにやらコンビニ発の新商法として普及した。その過程を追いつつ、その底に流れるいくつかの問題を考えてみたいと思います。
「恵方参り」はあったけれど
宗教学者の島田裕己さんによると、江戸時代から縁起のいい方角のお宮に参る「恵方参り」は、伝統的に存在していたとのことです。
それが「巻物」になる過程は、どうも正確な経緯が知られていないらしい。
ただ、どうやら「巻き寿司」という食物そのものの存在が史料に残され始めるのが江戸中期、1700年代半ばあたりからのことで、それを包丁で切り分けて食する、今日でも一般に寿司屋で供されるような形で普及したことは間違いがなさそうです。
巻き寿司を切り分けもせず「丸かぶり」というのは、率直に言って大変「下品」な食習慣と私は感じます。