日本的経営の代名詞といえば終身雇用である。日本だけの仕組みではないが、間違いなく、世界的に賞賛を受けた頃の日本的経営を支える大きな柱だった。

 日本の戦後システムが世界的に注目されるきっかけとなった『ジャパン アズ ナンバーワン』が日本で刊行されたのは1979年のことだった。その中で著者のエズラ・F・ヴォーゲル氏は、「日本的経営法が生まれたのは、高度の技術を要する重工業においてであった」と記している。

 鉄鋼、機械、電機製造に関係する日本の大企業は、西欧諸国に追いつくために「高度の技術と大規模な企業組織を必要とし、技術者と管理者の両方を同時に養成しなければならなかった」(同書)が、政府の強力なバックアップを受けて時間と資本を投下して、それを実行した。

 そしてヴォーゲル氏は、「こうして多くの投資をして養成した人間をずっとその企業に引き留め、習得した技術を十分に発揮できるように終身雇用制を採用したのである」と述べている。

 その結果、日本は奇跡と呼ばれるほどの早さで戦後復興を果たし、高度経済成長を実現することができたのだ。有能な人材を育て、終身雇用によって引き留められたからこそ日本企業は成長できたのである。

 日本企業の成長は人を活かしきった結果であり、終身雇用は人を活かすためのシステムだったと言ってもいい。

 人が活かされるシステムの下では、当然、従業員の仕事における満足度は上がる。生活の不安も少ないので、それだけ仕事にも打ち込める。それが原動力になって企業は成長する、というわけだ。

社会問題になった自動車業界の「派遣切り」

 経済小説の第一人者、高杉良氏は2002年に出版した『外資の正体』の中で次のように書いている。

 「私はこれまで多くのビジネスマンを取材して、終身雇用制こそが企業に活力をもたらしてきたと確信している。トヨタ自動車のように終身雇用制を維持し、経営者と従業員が一丸となっている企業は少なくない。そうした日本型経営にこそ未来がある」

 しかし、そのトヨタ自動車はトヨタ自動車九州で2008年に約800人の派遣社員を契約解除(解雇)するなどグループで大胆な人員削減を実行している。国内外での新車販売が悪化したために生産調整が必要になり、派遣や期間従業員の大量整理に踏み切ったのだ。